つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

時代小説を世に出すのが当面の夢

 毎年新年1日の零時を過ぎると、自宅近くの成田山横浜別院や伊勢山皇大神宮に初詣でに行くことしています。昨年、伊勢山の方は長蛇の列だったので入場をすぐにあきらめ、成田山別院だけのお参りにしました。横浜一の霊場伊勢山皇大神宮と違って、例年この成田山別院だけは人出はそこそこで、すぐに賽銭のところに行けたのですが、昨年は結構な列があって驚きました。それが今年はどうしたことか、成田山はガラガラ、伊勢山にも列などなく、階段を上がってすぐに神前に達しました。参道にテキヤさんの屋台もなく、寂しい。電車の終夜運転などがなくなったせいでしょうか。

 年賀状を読むと、皆、新型コロナウイルス絡みの話ばかり。それも「感染を恐れて巣ごもりしている」「何とか早くこの事態が終わってほしい」といったような嘆き節が多い。人は外に出て活動して初めて生きる実感が沸くものなんですね。高齢者になって生きる実感を失うことがどれだけ悲しいことであるか。小生だけに限らず、知り合いのほとんどが”自宅待機”という同じような状況に置かれていること改めて知り、目に見ない”敵”コロナへの怒りがまたまた募ってきました。

 小生は、実質的に昨年1月までに一定の職場に通う仕事(つまり大学通い)を終え、さあこれから旅行でもして遊びまくってやると思いました。事実、1月に台湾、3月初めには欧州に旅行しています。そのほか、いろいろな行動計画、趣味も考えました。アスレチックジムに通おうか、若いころにやっていた空手をもう一度始めようか、それとも面白いスポーツと思っていたテニスにしようか、声を張り上げるのが好きなので民謡でも習おうかとか。ところが、コロナの感染による緊急事態宣言予告、さらには内人の身体に不調が生じて家事の負担が増え、遊びまくることなどできなくなりました。

 そこで、自宅で時間が取れるときにできる趣味という選択になります。書くことが好きだし、毎月ルーティーンの中国、国際情勢関係記事とは畑違いのジャンルという選択で、結局、時代小説を書くことにしました。もちろん、これは2,3年前から始めていました。ただ、職場に通う仕事があったし、定期的に執筆するアルバイト原稿もある。さらには外で飲む機会もありで、時間がそれほど取れませんでした。それが昨今、家事が増えても、幸か不幸か、コロナで時間が結構生み出され、書く時間が取れるようになりました。

 小生、中国関係の本は自書だけで5冊、共著ものなら数十冊出版していますが、残念ながら、時代小説はまだ趣味の段階で”生業”にはなりません。何事もプロとアマの間には天と地ほどの違いがある、渡るに渡れぬ大きな川があることは承知しています。でもいつかは時代小説を世に出してみたい、自費出版でなく稼業として。というのが当面の夢です。

 上の写真は、伊勢佐木町モールにある量販店ドン・キホーテ店頭にある水槽の熱帯魚。