つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

これまでで忘れられないラーメンの数々

 今、テレビを見ていたら,荻窪ラーメン特集をやっていて、「手もみラーメン・十八番」という店を紹介していました。ニンニク主体のラーメンつゆとニンニクが主な餡の具材である餃子、見ていて食べたくなりました。小生、このブログでただの一度も触れたことがないんですが、実はラーメンの大ファンなのです。あまりにも当たり前のことなので、却って触れにくくなりました。昔、母親に作ってもらった家でのラーメン、そして今、横浜の行きつけの店で食べるラーメン。基本的に中華麺は大好きなのです。そこで、小生がこれまでうまかった思い出のラーメンを語ります。

 最初に触れなければならないのは、母親のラーメン。母自体が麵食いの人で、和そば、ラーメン、スパゲッテイーと細長いものは何でも好きでした。小生の麺好きはその影響が大きいのです。昔、確か、乾物屋さんか何かの店先に木箱に入った生麺が売られていて、母はこれを買ってきて家で茹でてくれました。上品なだしの素などなかったので、どんぶりには味の素(たまに煮干し)と醤油と刻んだネギ。そこに茹でた麺と熱湯を入れて一丁上がり。それでも、母が作ってくれたラーメンはおいしかった。

 次に挙げたいのは、屋台の流しのラーメン屋。子供のころ、ピーシャラとチャルメラを流しながら夜、家の近くに来る屋台のそれは、いわゆるシナチク、ナルト、海苔、ホウレンソウが上に載った、しょうゆ味の典型的な東京ラーメン。いわゆるシナそば。これが外で食べたラーメンの原点です。しょうゆ味は単調だし、当時の味は濃すぎたとの印象もあったので、今は店のメニューにあっても頼まないと思うけど、懐かしいことはこの上ない。特に大学時代、板橋に住む友人の下宿近くの中華料理店で食べた醤油ラーメンは忘れられない。仕上げに油で揚げたネギが振りかけられた味は絶品でした。

 北京から帰ってきて1980年代半ば、市ヶ谷の社宅に住んでいたころ、四谷三丁目から丸の内線で通っていましたが、その四谷三丁目駅近くに「大陸ラーメン」という店がありました。そこの大ファンになりました。いわゆるニンニク効かしの上、独特の味わいがあったのです。その味わいとは、何か腐った感じ(玉ネギと長ネギを煮込んだものか)もするのですが、味覚的には絶品で、やみつきになりました。

 味噌ラーメンも好き。ラーメンって醤油だけでなく、さまざまなバリエーションがあることは味噌ラーメンで知りましたりました。最初に食べたときには本当にうまいなーと思いました。一時、「どさん子」「どさん娘」とかのチェーンもありましたが、首都圏にも結構味噌ラーメンファンがいたんですね。今、なくなってしまったのは、どうしてなんだろう。味噌も素晴らしいが、西山製麺所の縮れ麺が最高です。新宿に通勤していたころ、御苑近くに札幌ラーメンの店があり、よく食べに行ってました。

 小生は横浜に住んでますが、地元の「家系ラーメン」って苦手です。豚骨のぎとぎとラーメンで、若い時は良かったと思うけど、歳を取ると食べられなくなる。九州博多の豚骨ラーメンもどちらかというとあまり食べない。細麺が味覚に合わないし、”替え玉”などというシステムもあまり好きになれない。やはり札幌ラーメン系の縮れ麺の方が好み。今、好きなラーメンは「揚州商人」というチェーン店の酸辣湯麺。酸っぱ辛い味が抜群。これを刀削麺で食べるのがいい。今自宅近くにも酸辣湯麺を食べさせるうまいラーメン専門店がありますが、店名は挙げません。

 もし明日死ぬと分かったら、最後の晩餐に何を食べたいかという話をたまに仲間内ですることがあります。「お前は何?」と聞かれれば、小生が食べたいのは、母親が作る焼きおにぎりかラーメン。でもそれは今では不可能なので、やはり食べ慣れたラーメンかカレーライス。カレーなら中辛のジャワカレーがいいけど、ラーメンはどの種類にするか迷います。

上の写真は、神田神保町のチャイナレストラン「源来酒家」の古老肉(スブタ)。黒酢での味付けが絶品です。人参で作った蝶の造形も見事、うまさに華を添えている。