つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

領土と戦争を絡ませるのは無理筋でない

 日本維新の会丸山穂高議員のいわゆる”舌禍”事件を聞いて、まず驚いたのは、大変些末なことで恐縮ですが、名前に穂高という字を使っている人が結構いるんだなということ。プロ野球西武ライオンズにも、ホームランバッターで山川穂高という選手がいますし、小生の教え子の中にもこの名を見たような記憶があります。でも、「穂高ちゃん」はいるけど、槍ヶ岳の「槍ちゃん」とか、焼岳の「焼ちゃん」とか、常念岳の「常念ちゃん」というのがいないのは、どうしてなんだろう。

 それはともかく、丸山穂高議員は北方4島墓参団に参加した際に、酒に酔って「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」とか「戦争しないとどうしょうもなくないですか」と団長に迫ったとか。誠にTPOをわきまえないお粗末な行動と言われても仕方ありません。日本国憲法では、「国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇、行使は永久に放棄する」とうたっており、公務員は憲法順守義務規定があるので、その意味では、国会議員たる丸山議員のなされようは非難されて当然です。

 現在、国会では、政府与党、野党総ぐるみで丸山弾劾、議員辞職を迫っています。魔女狩りチックな総攻撃に、ちょっとかわいそうな感じもしてしまいます。でも、事ここに至っては是非もない、彼はもう議員としては死に体なんですから、ケツをまくってすぱっと辞職されたらいいと思います。しかし経済的な問題もこれありで、無所属議員として残るとか。未練たらしいので男を下げています。

 非難轟々の中で、あえて丸山議員をかばいます。議員発言としてTPOの問題はあるとしても、領土問題と戦争を結びつけることは、国際政治を学んだことがある人間にとっては、そう無理筋な話ではないと思います。古今東西の歴史を見ても、領土画定は戦争の結果なんです。悲しいことに、それが現実です。歴史的に戦争で獲った領土、決まった画定ラインを、後日話し合いで返還したり、改定したりしたというのはごくまれにしかありません。

 小生の記憶の範囲としては、沖縄返還と中国ロシアのウスリー川中洲の画定です。沖縄は米国が攻め入って血で贖って獲った島ですから、本来なら返したくなかったでしょう。現実に米国内に反対論があったと聞きます。それでも返還に漕ぎつけたのは、日米が軍事同盟関係にあったことと佐藤栄作首相の手腕です。良いか悪いかは別にして、佐藤氏は密約で、沖縄での米側にある程度フリーハンドを与えることによって返還を実現させたのです。この密約がずっと沖縄県民を苦しめることになるのですが、、。

 ウスリー川の中洲画定も、両国の対米国をにらんだ関係緊密化があります。小生も画定されたハバロフスク地域の大ウスリー島(中国名=黑瞎子岛)まで行ったことがありますが、画定のための中ロ交渉ではかなりロシア側が譲歩したと聞いています。譲歩の背景を探れば、清朝時代に帝政ロシアが結んだ複数の条約が力を背景に不平等性を持っていたとロシア側が認めたからにほかならないと思います。

 反対に、戦争で奪われた領土を戦争で取り返した例は枚挙にいとまがありません。有名なのは、サダム・フセイン大統領のイラクがクェートを軍事占領した時は、国連で多国籍軍が編成され、クェート国の領土保全に動きました。それより前、1982年にアルゼンチン沖にある英国領フォークランド諸島(マルビナス島)がアルゼンチン軍に軍事占拠されました。この際には、サッチャー首相が「ミュンヘン会議の二の舞はしない(つまり、話し合いはしない)」とばかりに反撃戦争に出、島を取り戻しました。

 現実に、領土問題の決着は力と力の比べっこがものを言うのです。ですが、日本には平和憲法があるし、今、ロシアと戦って勝てるような軍事力もありません。であれば、丸山議員のような言い方が喧伝されると、相手をますます硬化させ、良い結果を生むことはないと思います。

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上の写真は、横浜・伊勢佐木町モール近くの飲食店前で見掛けた人形。