つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

情緒論者は抑止力の概念が分からない

 昨今のテレビのニュースあるいはワイドショーを見ていると、日本周辺の脅威に対し、どういう認識を持ち、分析しているのかが判然としません。中国による南シナ海の軍事拠点化、東シナ海尖閣諸島への船舶接近、日中中間線付近での石油リグ軍事転用化など、考えらる脅威は数多く、テレビのニュースやワイドショーでもいささか報じています。でも、それらの脅威の存在を認めていながら、現在の安保法制審議と結び付けていないことに、小生はどうしても納得がいきません。
 フィリピンは自らの軍事力が非力なくせに、現アキノ大統領の母親のコラソン・アキノ大統領は1990年代初め、「東西冷戦が終わったので、もう米軍は要らない」とばかり、米比軍事条約を破棄し、米軍を追い出してしまいました。その時、中国がひそかにフィリピン・パラワン島沖に接近、暴風時の漁民の休憩を理由にミスチーフ礁を占拠、そのまま実効支配し、今や軍事要塞化しています。
 米シカゴ大学国際政治学者ジョン・ミアシャイマー教授は「軍事的空白になったところは、実はバキューム(真空)状態となり、他の軍事的な力を引き込む」と喝破していますが、国家の安全保障というのは十分周到な軍事的準備(法制整備も含めて)をしておかないと結局、他国に付け入るすきをを与え、自国の領土が奪われるという事態になってしまうものなのです。それが抑止力の概念です。
 安全保障という概念は確かに、戦前の日本では他国への進出の言い訳に使っていた部分はあります。でも、今の日本では少なくとも他国の領土を奪おう、軍事的に現秩序を改変するような戦いを起こしようがありません。なぜなら、固有の領土と言っている竹島北方四島さえ、他国に占拠されていながら、それを軍事的に回復しようとすることもしていないのですから。
 それなのに、安保法制がなぜ「戦争法案」なのですか。こんなことを言っているヤツはまったく「ためにする」発言か、抑止力という概念が理解できていないか、のどちらかでしょう。宮本顕治時代の共産党はかつて「武装中立」を主張していました。つまり、国家の独立には武装力が必要なのだと主張していたので、小生は高く評価していました。
 ですが、今の共産党はかつての社会党のような「非武装」を前面に打ち出し、抑止力という概念が分からない主婦的感覚、情緒的不安の人たちの支持を得ようとしています。自らの党勢を広げたいがための「ためにする」主張でしょう。共産主義社会主義を標榜した国家がいかに軍事力を拡大(半面、人権を抑圧)してきたかは、20世紀の歴史に見れば歴然としています。
 法制審議を上っ面しか見ていない人は「戦争法案」と聞いて驚き、反対派を支持してしまうのかも知れません。だが、きちんと国際情勢を見ている人は、法制を過度に危険視するような底の浅い情緒論には与さないでしょう。恐らく後者が多数派です。

 上の写真は、千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館の中に鎮座する仏像。