つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

日本の安全保障力は通常兵器だけで十分か

 自民党副総裁の麻生太郎氏は失言の多い人で有名ですが、先日、ネットを見ていたら、こんな”失言”があるという例が出ていました。「安全保障があるから他人は喧嘩を仕掛けてこない。子供のときにいじめられた子。弱い子供はいじめられる。強いやつはいじめられないんだって。国もおんなじよ。強そうな国には仕掛けてこない。弱そうな国がやられる。やり返される可能性が高いと思われて、初めて抑止力になる」。参院選時に千葉県市川市で行った街頭演説の中身です。子供のいじめを例に出しているので、随分乱暴な論だと批判ブンブンでしたが、発言内容は結構本質を突いていると思います。

 小生は小、中学校の時、基本的に売られた喧嘩は受けて立つという構えでいました。たとえ腕力的に勝った相手でも、こちらが一回殴り合いに応じれば、相手は必ず次回に躊躇します。それでもやってくれば、何回でも応じる。それでいじめを受けた経験がありません。前に書きましたが、いじめとは反発心、抵抗力がないことが背景にあると思います。子供の世界はとりわけ遠慮がない、忖度がない、力が支配する世界。だから、何もしないでいじめを受けるままでいると、ずっとその状況が続いてしまうのです。

 これと国防と絡めるのは少し乱暴な感があります。学校では校長、教師らの”公権力”があり、100%とは言えませんが、まだその公権力によりいじめ状態の停止、原状回復は可能です。それに対し、国際社会はアナーキーな世界。ロシアが他国にどんなに理不尽な侵略をしても、それを咎め、原状回復させる絶対的な公権力が存在しません。集団的な安保体制、友好国の同情があったとしても、他国のやれることは所詮限界があります。結局、自国の安全は国民自らの手で確保していくしかないのです。ウクライナ戦争はそのことをしみじみ教えてくれました。

 そしてその安全保障です。非武装中立とか、憲法九条で守るなどとばかなことを言っている愚かな政党もありますが、噴飯ものでしかない。侵略国は侵略先国の憲法など見向きもしません。相手の武装力が弱いと見れば、外交的に押し出してきて、挙げ句は軍事侵攻するのです。ですから、毛沢東時代の中国が、今の北朝鮮が経済国力に見合わないにもかかわらず核兵器開発に努力してきたのは、国家の安全保障という観点からは理に適っていると思います。ただ、かの国らの安全保障の目的はひとえに共産主義独裁体制の維持、金家体制の崩壊を防ぐためで、国民の利益のためではないですが、、。

 麻生氏は「強いやつはいじめられない。それが抑止力だ」と言いました。問題はこの強さの程度です。日本は通常兵力はそこそこにあると思います。しかも今後5年間でGDP比2倍の軍事費までもっていくという。その面ではまあまあ潜在侵略国に一定の躊躇の気持ちを持たせることでしょう。だが、問題は相手が核兵器を持っている場合です。日本の周囲にいる危険国は皆核兵器を持っています。ロシアが核の使用をちらつかせてウクライナNATO諸国を脅したし、中国もこれまで日本に核の脅しをかける発言をしています。

 それでも、日本は拡大抑止戦略で米国の核に頼り、非核三原則なるものを金科玉条にしています。核兵器にはアンタッチャブルの姿勢を貫いています。世情言うところの「日本は被爆国だから核は持たない」というのは合理的な考え方でしょうか。むしろ、われわれは核兵器の攻撃を受けた国なのだから、他国から二度と核の脅威を受けないため、独自に核の報復力を持つべきだと構想するのがむしろ合理的だと思うのです。

 米国が核拡散防止条約から我が国に核兵器を持たせないというのなら、せめてすぐに製造できる準備だけでもしていて欲しい。そういう情報が潜在侵略国への抑止力になると思います。イスラエルは自身、核兵器所有を一度も明言していませんが、他国はもう所持しているという前提でこの国に対処しています。すなわち、それが抑止力になっているということです。

 

 上の写真は横浜駅近くベイクォーターのランタン飾りの下での風景。愛犬の自慢会が開かれていました。