つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

台湾有事はすなわち「日本有事」ではないのか

 中国が今、豊富な金やワクチンを使って全世界的に影響力を行使しようと暗躍し、特にアジア太平洋地域では圧倒的な軍事力を背景にして周辺国を支配下に置こうとする姿勢も見られます。特に、台湾については、前にも書きましたが、「離婚(分離、独立)は絶対に許さない」と叫ぶ暴力亭主のごとく威圧的な行動を繰り返しています。その話の続きでもあるのですが、万一中国が軍事力を使って台湾の併合を図ろうとしたときに、日本がどう出るべきかが今、問われています。端的に言えば、台湾有事は即日本有事であるのかという点です。

 20世紀の”日中友好”の時代では、「台湾は中国の一部であり、何があってもそれは中国の国内問題」と考えていた日本人が結構多かったように思います。ところが、中国が21世紀になって軍事力を増強、尖閣諸島にちょっかいを出し、ひょっとすると、上陸作戦を展開するのではないかという状況になってきました。そこで、中国は今や、日本側に軍事的な隙が見えれば、日中友好など配慮せず、経済サプライチェーンを犠牲にしても、いつでも実力行使に出る構えになっていると考える人が支配的になってきました。

 われわれは、領土的な現状変更も辞さないという昨今の中国の姿勢を目の当たりにし、国家の利害関係で相手の「良心」とか「善意」とかに甘えてはならない、国際政治は非情なものなんだという点を感じるようになりました。改めて地図を見るまでもなく、尖閣諸島先島諸島が台湾にとても近いことから、尖閣への脅威はすなわち台湾有事に関わる、すなわち台湾有事はイコール日本有事なんだという考え方が支配的になってきました。片や、「台湾有事で日本が戦争に巻き込まれる」といったノー天気な”巻き込まれ論”を展開する人はごく少数派になっているように思われます。

 そこで近年、最南端の与那国島自衛隊の通信部隊が駐屯したり、宮古島にミサイルが配置されたりしていますが、地域の防衛上とても時宜にかなった適切な対応かと思われます。まだ、いわゆる評論家の何人かは「中国が日本に攻めて来ることはない」と高を括っているし、一部は「いたずらに中国を刺激してはならない」との期待論も見られます。これらの論の根拠は国家関係においてまだ相手の善意にすがっているところがあるからでしょう。この発想のベースは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に依拠して」という日本国憲法の前文を金科玉条のごとくに考えていることにあると思われます。

 本来、理想主義は素晴らしいことであり、いつもわれわれは究極の理想を頭のどこかに置いておく必要があります。ですが、現実には他国の物を掠め取ろうとするこすっからい国、世界平和の維持という理想など少しも考えない国があることをしっかり認識し、それに対応しておかなければならないのです。過度に他国の善意に依拠すると碌な結果になりません。潜在的な敵対国に勝手な行動を起こさせないための抑止、軍事均衡が重要です。こうした考え方は、第一次世界大戦からわずか20年で第二次大戦が起きたという経験から、E・H・カーやハンス・モーゲンソーらの国際政治学者が再三指摘してきたことで、今や国際政治思考の主流となっています。

 でも、ノー天気な人は「こちらが攻撃的姿勢を示さなければ、相手もそうならない」という理想主義から離れられないのです。こうした輩は得てして「ダチョウ族」の部類に入ります。駝鳥は怖いもの、見たくないものを見ると、頭を地面に突っ込み、現実から逃れようとする。「中国の尖閣侵攻などありえない、幻だ」と考える人はダチョウ族なんですね。

 どこかのばかな新聞社は、世界で小競り合いが起きるたびに「当事者同士でもっと話し合いを」と呼び掛ける社説を出しますが、話し合いで解決できるのであれば、端から対立、衝突など起きないし、ましてや一方的な侵略に対し話し合いなどできるものではありません。さすがに昨今、中国の尖閣侵攻を見て「もっと話し合いを」というメディアはなくなりました。現実を見る目が出てきたからでしょうか。理想だけを語り、現実を見ない新聞は読者を失うだけです。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区のショッピングセンターに登場した「進撃の巨人」。プロ野球の巨人は嫌いだが、こちらはいい。