つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

五輪開催中止社説なら、取材はやりにくい

 週刊文春によれば、朝日新聞は、今夏のオリンピックを中止すべきだという開催反対社説を書くか書かないかで社内で意見対立があったそうです。反対社説推進派は「世論調査では、今、コロナ禍で五輪どころではないだろうという開催反対論が多数を占めている」ことから、それに迎合したものと見られます。でも、運動部や社会部が反対社説掲載の反対を訴えたとのこと。最終的に、5月26日の紙面で反対社説が掲載されたようですが、小生はこの新聞を購読していないので、伝聞でしかありません。

 運動部や社会部がなぜ反対したのか。それは朝日自身が夏の甲子園を主催しており、「甲子園は良くて、五輪は駄目」というのでは説得力に欠けるとの観点からです。しかも、今、IOC菅総理は「あくまで五輪開催」に向けて突き進んでおり、開催となる可能性が大。大新聞が主張したからと言って、その通りにはならない。そこで、五輪が予定通り始まれば、国内は熱気に包まれるのは必定で、中止論を掲げたメディアとしては立場が微妙になり、記者はどう取材していいのか戸惑ってしまうでしょう。

 「やったぞ、池江璃花子」とか「魅せた、内村の鉄棒美技」とか「上野躍動、ソフトボール女子またもや金」などという、イケイケどんどんの見出しが躍る大々的な紙面展開ができないのではないか。一方、取材を受ける選手側にしても、開幕直前にテンションを下げるような開催反対社説を書いた新聞社の記者には快く応じられないのではないか。朝日の記者は、主張と紙面の矛盾を背負いながら、苦しい取材になることは目に見えています。運動部や社会部が開催中止社説に反対したのは、そうした状況を想像したからでしょう。

 ところで、何でいきなり開催反対の社説になるのでしょうか。この社の圧倒的多数の読者の思考に迎合したためか、紙面の広告主(多くは五輪のスポンサーでもある)の反対があっても購読料だけで経営が成り立つという自信があるのか、それとも、政府自民党のやることには何でも反対したいという、この社独特の上から目線なのか。もっと柔和な形で社説を掲げ、最初から開催は駄目などと言わないで、コロナ禍の中で開催するには十分な対応、対策が必要という観点から、建設的な意見、こんな感染防止があれば大丈夫といった方法論を展開して欲しかった。

 何でもかんでも反対では共産党立憲民主党と同じです。この両党はこぞって今夏五輪に反対しているとか。毎度おなじみの共産、立憲、朝日、TBS(特にサンデーモーニング)の一見進歩的文化人風の”左傾一団”の共同歩調には、もううんざりです。何でも反対では事態を現状にとどめるだけで、進歩がない。超保守主義者に過ぎません。国民はそういう政党やメディアには魅力を感じないのです。一割の瑕疵があっても、九割の進歩が見込めれば、国民はそのトレンドを支持することを理解して欲しいと思います。

 菅総理の支持率低下にもかかわらず、自民党の支持はなぜか4割を維持し、本来ゼロサムで増えるはずの立憲民主党への支持は7%程度に低迷しています。国民の多くは、共産党や昔の日本社会党と変わらないと思っているからです。2009年総選挙で民主党が勝った時のように、立憲党は現実的な政策を主張し、そのスタンスを取ってください。今、野党第一党であり、場合によっては自民党に代わって政権を担わなければならない政党なのに、今のままでは信用されません。偉そうな割には内容のない蓮…とかいう女性議員の国会質問ばかり見せられては、政権奪取は難しいです。

 新聞の話に戻ります。新聞は今、ますます読まれない傾向にあります。朝日新聞の発行部数はかつての700万部以上から現在は500万部強。2021年3月期の連結決算で、純損益が441億円であったそうな。新聞が読まれないのは、紙媒体全体の傾向であり、独り朝日に限ったことではありませんが、とりわけクォリティーペーパーと呼ばれた朝日の部数減が目立つのは、その唯我独尊、上から目線のせいかも知れません。

 上の写真は、町田市の郊外に遊びに行った時に寺で見た赤い花。

大橋純子 シルエットロマンス - YouTube

 歳相応になかなか魅力的な歌いっぷり。