つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

早田ひな選手の特攻隊基地訪問発言に感動した

 芸能ネタを取り上げるのはあまり好きではないのですが、ちょっと気になる話があったので一言言わせていただきます。テレビのキャスターを務める和田アキ子さんがパリ五輪のやり投げで金メダルを獲った北口榛花選手について、「なんかトドみたいのが横たわっているみたい。かわいい」とコメントしたことにネットなどですごい批判が出ているとか。ある人は「人間を動物に例えるのは良くない」と指摘したそうな。それで、和田氏はその後の番組で「不適切な発言をした」と謝罪したようです。

 問題は、一般的に人間を動物に例えるのはけしからんと言うのか、それとも「トド」という太った動物に例えたのがいけなかったのか。小生の第一感では、和田発言はそれほど激しく批判されるほどのものではないのかなと思います。まあ、トドを出したのは、女性のデブを強調するようでまずいということか。そういう観点に立てば、確かに多少の問題があるのかも知れませんが、小生はトドを顔の可愛い動物だと思っているので、それほどの違和感はありませんでした。

 人間を動物一般に例えるのは駄目という指摘には賛成しかねます。昔から、「虎(or鷹)の目のように鋭い」とか「ヒョウのような身のこなし」とか「パンダのようにどっかり座って」とか動物の特徴をとらえて人間の行動に当てはめる表現はいろいろあります。ですから、こんなことにいちいち目くじらをたてていたら、切りがないでしょう。ある意味、トド似として問題を取り上げる人たちこそ北口イコール「トドのようなデブ」という先入観を持っているのではありませんか。

 北口トド問題はそのくらいにして、もっと書きたいことがあります。それは、卓球の銀、銅メダリストの早田ひな選手が帰国後、「鹿児島県の特攻隊基地資料館に行って、今、生きていること、自分が卓球を当たり前にできていることを当たり前じゃないと感じたい」と語ったこと。24歳の新進気鋭の女子卓球選手が特攻隊の話をしたことは唐突な感じを与えますが、その中身は素晴らしい発言じゃないと小生は思います。これを中国がまたまた「侵略戦争」と結び付けて批判してきたのであきれました。

 特攻隊は侵略戦争とは関係ない。特攻隊が戦ったほとんどの場は日本国内の沖縄や東シナ海海上であり、防衛戦です。祖国が負けそうになったので、家族、郷土を守りたいとの思いから反強制的に命を投げ出した若者たちです。彼らはもっともっと長い人生を生きたかったのでしょう。だが、時の流れから特攻機に乗り込まざるを得なかった。その錯綜する心底を思いやると、戦後生まれの小生も胸が揺さぶられます。

 特攻隊員の年齢は早田さんの今の年齢24歳より若い人が多かった。だから、彼女は「今生きているいることは当たり前でない」と考え、自分の今の在り様を見つめ直すきっかけに特攻隊基地訪問を思い立ったのでしょう。素晴らしい覚悟です。それに引き換え、昨今、新宿、渋谷で目的も意味もなく遊び歩いている若者はなんと嘆かわしいことか(若い時の小生もそうだったが…)。彼らに聞かせたいセリフです。

 また小生の勝手な解釈を付け加えれば、彼女はオリンピックで負傷しながら日本を背負って戦った。だから一層、苦しみながら祖国を背に戦った特攻隊員に共鳴した部分もあるのではないか。小生も知覧の資料館を訪れたことがあるが、早田選手は恐らく隊員が残した遺書を見てさらに「日の丸」を背負う意味を感じたかったのではなのかと思われます。こうした早田さんの姿勢を見て、中国が「戦争賛美者」「侵略戦争の手先」などと批判するのはどうでもいいのですが、日本人が中国側のトンチンカンで的外れな反応に同調するのは許せません。

 知覧や鹿屋の特攻資料館は決して戦争賛美の場ではありません。祖国の山河、同胞を守る、祖国を背負うということは何かを教えてくれる場所なのです。中国風に言えば「愛国教育基地」と言えるのかも知れません。日本人であれば、早田選手のように一度は訪れるべき場所です。

 上の写真は、小生が訪れた際(8月17日午後)、誰もいない千鳥ヶ淵戦没者墓苑。下の方は、墓苑建造に当たり、昭和天皇が作られた和歌の碑。