つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ヌートバー選手、もう少し日本語を話して

 昨日京セラドームでWBCの強化試合である対阪神戦が行われました。それはともかく、夜の試合開始前に球場前は朝から長蛇の列。売店WBC代表選手の関連グッズが売り出されるからとのこと。多くの方は現役メジャーの選手、とりわけ大谷翔平のユニフォーム買い求めるのが目的だと思われます。それにしても尋常ではない、早朝から並ぶのならまだしも、ある人は寒い中をテント持参で夜中から寝ながら待っていたというのですから、恐れ入ります。他人の行動や趣味にケチをつけてもしょうがないのですが、これには唖然とします。

 タイに住む友人が昔、「人生は生を受けてから死ぬまで、どう過ごすかなんてマジに考えてもしょうがない。所詮、大いなる暇つぶしなんだから」とよく言っていたのを思い出します。確かに、平々凡々たる日常を送っている人にとっては、WBC代表選手の試合観戦、その選手たちのグッズを先を争って獲得するなどというのは日常を突き破るビッグイベントであり、もっとも有効な暇つぶしであるんでしょうね。ですから、少しくらいの寒さや眠さや腹減らしなど何とも思わない。苦労があるから却って、大谷のユニフォームを獲得することに恍惚感を感じるんでしょうね。

 何やら、こんな書き方すると、嫌みや皮肉に聞こえますが、そんなことではありません。「嗚呼、なんと日本人は平和な世界に浸っていることか」という感動的な思いなのです。その幸せ感が募ってくるということです。というのは、今、ウクライナやトルコ、シリアの人々では自ら好んでではなく、戦争や地震によって平々凡々の日常が壊され、恐怖や寒さの中に強制的に置かれています。当地人民らは平和な日常を欲しても実現できない世界にいるのですから、同情すると同時に、日本との大きな乖離を感じます。

 日本では春を迎え、毎年恒例でプロのゴルフ、サッカー、野球、バスケットの試合が始まり、その上3月はWBCなるビッグイベントも控えています。WBCのあと、夏にはバスケット、秋にはラグビーも国別対抗戦があります。昨年のWCサッカーもそうでしたが、国別対抗戦は愛国心が頭をもたげてくるのでわくわくします。これに勝利すると、渋谷のスクランブル交差点に大勢の若者が集まり、明らかに交通妨害して歓声を上げますが、この光景に悪い気はしない。それどころか、若者が日本国を意識して喜ぶ姿は嬉しくて、老人のこちらも一緒に飛び跳ねたい気持ちにかられます。

 米国生まれながら、母親が日本人で日本の文化をこよなく愛する大リーガーの青年が日本代表に加わるというのも嬉しいじゃありませんか。テニスプレーヤーの大坂なおみ同様にこういうハーフの選手が出てきて、「日本」を名乗るのは、小生のような生粋の日本人からしても感動的で、大歓迎です。ただ、惜しむらくは、大坂なおみもそうですが、ラーズ・ヌートバー選手ももう少し日本語を勉強して欲しかった。母親は息子が幼児の時に日本語で話しかけなかったのでしょうか。言語というのは、一番民族の同一性を感じるファクターです。

 いわゆる”マザータング”を忠実に解釈するなら、日本人の母親を持つ彼らは本来日本語をベースにするべきなのです。まあ、それは言い過ぎか。ですが、米国にいる限り英語がメーンになるのは仕方ないとしても、せめて母親が子供のときから日本語で話しかけていれば、日常会話くらいはできていたかも知れません。ヒーローインタビューで終始カルフォルニア訛りの英語は聞きたくない。せめて最後くらいは、片言でもいい日本語を話して欲しい。異国にいても両親の祖国の言葉は大事にするべきです。

 小生の友人の中国人は日本人と結婚して娘がいますが、家族ともども日本に住んでいるので、娘は幼いころ中国語を学ばなかったようです。ですから、彼に言いました。「日中のハーフならば両国の文化を理解する素晴らしい立場にいる。言語は文化の基本だ。娘にはしっかり中国語を教えろ。中国語が分かれば、君の中国側の肉親ともコミュニケーションが取れるだろう」と。小生の進言が少し効いたのか、娘にはその後中国語を勉強させているようです。片言でも話せれば、中国側のおじいちゃん(おばあちゃんは死去)とも親戚とも会話ができるので、中国側肉親も喜ぶことでしょう。

 上の写真は、自由が丘の商店街。久しぶりに自由が丘のイタリアンレストラン「シャッターズ」で飲み会を開きました。ここのスペアリブは抜群にうまい。