つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

黄泉の国からの呼び出しは遠くないが…

 歳を取ると、特に後期高齢になれば仕方のないことかも知れませんが、黄泉の国に呼ばれて友人が一人二人と彼岸の方に旅立って行きます。最近でも大学時代の友人が亡くなりました。小生の自宅は船橋にあり、大学のあった東京の北区西ヶ原までは総武線、山手線の乗り継ぎで結構遠いので、マージャンなどして遅くなった時には彼のアパートによく泊めてもらいました。夜遅く突然訪れても、決して嫌な顔をせず、まあ特段歓迎もされないのですが、「おお」とか言って普通の顔で接してくれました。

 福井の田舎出身で物静かな人ですが、飄々としてそれなりのハンサム。今年4月、京都に花見に出かけた折、大阪まで足を伸ばし、久しぶりに彼に会いました。大手の旅行会社を定年退職して高槻駅前の碁会所の席主をしていたのです。ビルの3階ほどにある彼の碁会所を訪れました。「ほとんど儲からない。ビルの家賃が大変」などと言っていたけど、好きな趣味を仕事にしているのでストレスはないようでした。その時は元気だったのですが、もともと持病があったようで、夏ごろから病院通いが始まり、入院。そして9月に帰らぬ人となりました。

 親しかった人がいなくなるのはさみしいことこの上ない。3年ほど前にも異業種の交流勉強会をともに主宰していた友人が突然いなくなりました。東京の地下鉄のホームで心臓マヒを起こし卒倒。そのまま意識が戻らないまま彼岸に旅立ちました。この彼とは毎日のように電話連絡し、なおかつ酒を飲みながらダジャレを言い合い、楽しい時を過ごして来たので、喪失感たるやすさまじいものがありました。ああ、何度も言う、同じパターンのつまらない彼のダジャレが聞きたいと思っても、もうこの世ではかなわないのが辛いです。

 小生も癌の手術を2つ受けており、決して体力的に優れているわけでなく、どちらかと言えば、なんとか生きている状態。まあ、彼岸に旅立つのもそんなに遠い先のことではないと思うのですが、現実感がありません。その時の状況が想像できません。本当はもっと熱心に終末活動などしなくてはならないのでしょう。内人からは「使わないのだから、ゴルフセットなど捨てろ」と言われているし、自分の部屋を占拠しているそれなりの量の書籍も本当は捨てる時期でしょうね。

 でも、面倒くさいこともあるし、今持っているものがなくなれば清々し、部屋も広く使えると思う半面、死出の準備みたいで嫌だな、部屋が片付いたら寂しいだろうなという思いもあります。書籍一冊一冊、キャンプ用具一つ一つに思い出が詰まっているのですから。もともと後期高齢者になったらやろうと考えていたのですが、やはりその思い出は断ち切れない。最近は、やはり80歳でもいいかなどと先延ばしを図っています。

 今、高校時代の同期会のクラス幹事をしています。今週初め、このクラスごと幹事の全体会合が千葉で持たれのですが、代表幹事から、10月末開催の同期会には100人以上が出席するとの報告がありました。殊の外大勢の参集に驚かされます。老人になると若かりしころが懐かしいのか。この世の名残りに昔の友ともう一度語り合いたいとでも思うのか。それとも昔可愛いと思っていたあの女生徒がどう変貌しているのか確認したいとでも考えているのか。

 で、幹事会合では、代表幹事から「後期高齢突入をもって同期会は最後にしたい」との申し出がありました。ですが、クラス幹事連中はまだまだ元気なので、「次回もやるべし。2年後の喜寿では早く来すぎるので、次回は80歳ではどうか」との提案があり、そう決まりました。ただ、ここに集った10人ほどのクラス代表幹事も、小生を含めてそのまま再び参集できるかどうかは怪しい。黄泉の国からのお呼ばれは突然来ることもあるので、どうしょうもありません。まあ今は、悔いのないよう、毎日毎日を精一杯生きるだけです。

 上の写真はJR千葉駅前の風景。駅の真ん前にモノレールの高架駅があり、駅前広場に圧迫感を与えています。