つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

旅は旅行社ツアーでなく、自分で設計するのがいい

 3月31日から一人で京都、大阪・高槻市鳥取市砂丘兵庫県北部の城崎温泉、それから京都に戻る旅をしてきました。昨年の旅行はほぼ全部旅行社のバスで運ばれるお仕着せツアーへの参加であり、見るべきところは見られるが、なんか物足りないというか、今一つ達成感がない。見たというだけで、自分で歩いたという実感は沸かないのです。その点、一人旅はいろいろ自分でルートや宿泊先を考え、予約し、滞在先での時間も自分で調節できるのでそれなりの充実感があります。まあ、食事で言えば、セットメニューにするか、アラカルトで頼むかの違いでしょうが、その差は食事以上です。

 京都では「新選組友の会」の仲間と落ち合い、壬生寺、壬生屯所跡を散策、山南敬助の墓がある光縁寺を訪れ、顔見知りの個性豊かな住職と楽しい時間を持ちました。夜には三条小橋池田屋事件の跡地にある居酒屋「池田屋」で食事し、ついでに四条に足を延ばし、祇園界隈も歩きました。白川に垂れ下がる桜がライトアップされ、なんと美しいことか。翌日は南禅寺の桜、八坂神社・円山公園の枝垂れ桜も鑑賞しました。こういう名所にはかつて雨後の筍のようにうじゃうじゃいた中国人はもうほとんどいない。代わりに西洋人が大量に来ていたのにはびっくり。西洋人も桜が好きなのか。

 その日午後は、幕末に鳥羽伏見の戦いがあったところ、今で言うと、京阪電車の京都(淀)競馬場駅辺りですが、そこに行き、友の会の仲間と散策しました。昔は原っぱだったのでしょうが、今では工場群か住宅になっていて面影は見出せません。でも、かすかに記念碑があり、戦いがあったことを知らしめていました。今でも、淀城址はありますが、城内の河津桜はもう花を散らせていました。鳥羽伏見で負けそうになった幕府軍がこの城に逃げ込もうとしたのですが、譜代である淀藩は中立を宣言し、幕府軍を城に入れなかったのです。これが幕府軍が負けた大きな原因とも言われています。

 その場で新選組友の会の仲間と別れ、小生は一人京阪電鉄枚方駅に向かい、そこからJRの高槻駅に出て、大学時代の友人と会いました。彼はもともと大旅行会社に勤めていた男ですが、今は碁会所の席亭をしているのです。本人は定年後その碁会所に通っていたのですが、ある日、前席亭が会所の中で心不全か何かでばったり倒れ、死んだとか。そこで碁仲間に押されて、その後任に収まったそうです。

 学生時代、彼の下宿に入りびたり、家に帰るのが面倒なので、たまには宿代わりをお願いしていました。昔から彼の人柄はいい、いつ行っても嫌な顔をしなかったのです。人徳は身を助けるということか。でも今、本人は「今、公民館など無料の場所にも碁を打つところが多いから、高額の席料は取れない。ほとんど実入りにならない」とこぼしていました。小生は「好きなことをして余生を送れれば、それに越したことはないのでは」と慰めておきました。

 その日は茨木市のホテルに泊まり、翌日に大阪梅田に出て、そこから鳥取行きの高速バスに乗りました。高速を使って3時間ほど。鳥取駅前のアパホテルに荷物を置いた後、直ちに鳥取砂丘に出掛けました。小生は日本全国46の都道府県内で宿泊したことがあるのですが、ただ一つ鳥取県だけが残っていました。中国は31の一級行政区すべて回ったことがある人間からすると、日本の47を網羅できないのは心残り。つまり今回、鳥取で満願成就を目指したのです。

 安部公房の「砂の女」の小説も、映画も見ているので、長い間、鳥取砂丘にあこがれていました。ですが、実際に見てみると、正直「なぁん-だ」という感じでした。エジプトの砂漠、中国甘粛省新疆ウイグル自治区の砂漠を見ているので、規模の小ささに拍子抜け。確かに、ここは「砂漠(desert)」でなく所詮「砂丘(dune)」なんですね。岸田今日子のような”砂の女”、砂塵にまみれた肉感女性がいるような雰囲気はまったく感じられない、海外線に普通にあるちょっと大きめの”砂場”でした。でも、これは鳥取最大の観光名所であるようで、外国人が結構来ているのにも驚きました。

 砂丘から路線バスで駅前に戻る時、隣に座った60歳台と見られるおば様は中国人で上海人でした。「日本の関西は2時間で来れるので、北京に行くのと変わりない」などと、あたかも国内を旅行する雰囲気で言う。「滋賀県の何だか美術館がいい」とか、小生も知らないところを延々と説明していました。もう何度も来ているようです。中国は今不景気状態にあるのですが、小金持ちは相変わらず日本に来て楽しんでいるようです。

 この日の夜は、鳥取の駅前、飲み屋街を一人探訪しました。駅前はシャッターを閉めた店舗もあり、なんだかさびれた感じ。至るところに石破茂のポスターがあり、ここは彼の選挙区であることを呼び起こす。思わず「日本の首相になることを考える前に故郷の町の振興を考えたらどうか」と言いたくなりました。海鮮居酒屋で一品350円のしめ鯖などを肴に2合の酒を飲んだ後、中華レストランで食事。そこのマスターに声をかけると、彼も中国人であり、しかも上海人であることが分かりました。鳥取での収穫は上海人との遭遇、中国語での会話が楽しめたことが最大の収穫かも。

 翌日は山陰本線日本海海岸線を北上し、2時間かけて兵庫県の海寄りの町、志賀直哉の小説で有名な城崎温泉に行き、投宿しました。ここで何より驚いたのは外国人が大勢来ており、特に西洋人が目立ったこと。ロンリープラネットなどの外国語ガイドブックで紹介されているのか。街並みがきれいであり、このシーズンは特に川沿いに咲いている、ライトアップされた満開の桜並木が見事でした。

 街中に4,5カ所の共同風呂があり、そのうち外に滝が落ちる景色が見られる「御所の湯」は圧巻でした。温泉地の一番奥にある「鴻の湯」も庭園湯と銘打っているだけに箱庭の中の温泉風で、すばらしい。入れ墨をした中年の西洋人がいたので、声をかけると英国人で、リバプール辺りから来ているとのこと。日本の温泉はいいとベタ褒めしていました。小生は「英国にもバースという温泉発祥の地があるのでは」と振ったのですが、あまり関心を示さず、サッカーの話をし出しました。

 ということで、久しぶりに自分の思い通りに設計したルートを一人で歩き、切符、宿の手配も自分でやりました。大変でしたが、充実感があり、本当に「旅行でなく旅」を堪能した思いです。

 上の写真は、「砂の男」というか「砂丘の老人」。下の方は、鳥取駅前の店舗テナント募集のビル。県庁所在地の駅前としては寂しい。