つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

親しくとも別れは必ず来る、だから会っておこう

 音楽家坂本龍一が亡くなったとのニュースが入りました。映画「戦場のメリークリスマス」で印象的な演技をしていたのが鮮烈な記憶にあるので、残念でなりません。死因は癌で、享年71歳とか。なんと小生より若い歳での旅立ちでした。小生も癌を2つやっているので、他人事ではありません。坂本氏のようにステージ4までは行ってないので、死期が迫っているとは思いませんが、油断はできないのです。

 つい2週間ほど前に一緒に沖縄に旅行したご老体が電話してきて、「その後どうしている?沖縄では疲れている様子だったので、心配していた」と尋ねてきました。こちらはアルバイト原稿に追われて大変なだけだったのに、わずか2週間程度の音沙汰なしでも心配されるのか。ああ、ついに小生も一定期間の無沙汰イコール体調の変化を心配される歳になったのかとへんな感慨に浸ってしまいました。

 確かにこちらにしても、歳が近い人からしばらく電話がなかったり、連絡がなかったりすると、「ひょっとすると」などと思うことがあります。一昨年、大学時代の友人の携帯電話に久しぶりにかけてみると、使用されていないとの返答。嫌な予感がしたが、実情を調べるのが恐いので相手の家電には電話しないでいたら、年末の年賀欠礼通知で、奥方から「誤嚥性肺炎で半年前に死去した」との連絡が入りました。ショックでした。確かにもうそんな歳なんですね。

 小学校時代によく遊んだ友人がいました。彼は優秀だったので中学校は学区を離れて有名進学校に行き、小生は学区の公立中学校だったので離れ離れになりました。ですが、高校は同じところに行き、再会したのです。確か学校の食堂でしたが、顔を見かけたのです。向こうもちらっとこちらを見ました。ですが、その時はお互いに声もかけず。当時、小生はシャイだったし、恐らく向こうは小生のことなど忘れているだろうと勝手に思い込んでいて、声を掛けづらかったのです。

 高校3年間同じクラスになることもなかったので、とうとう一度も話す機会がありませんでした。ところが、その後数十年経ち、小学校時代の仲間が定期的に集まる会合がスタートし、その席で再び彼と会う機会がありました。その時に彼が言うには「もちろん、高校で会った時に君だと分かっていたけど、なんとなく声を掛けづらかった。悪かった」との言葉でした。そうか、中学校が分かれても彼も小生のことを忘れていなかったのかと若干嬉しい気持ちにさせてくれました。

 再会後の会合ではいつも小生の隣に座り、ビールをマイペースで飲み続けていました。笑顔が素敵なハンサムボーイで、話好き。親譲りの中小企業の社長をしていたようですが、偉ぶるところは微塵もない。良い男でした。その彼の訃報をつい最近、小中学校の仲間内から受けました。ショックでした。もう彼と飲む機会が持てないのかと思うとこれまた非常に残念です。

 1970年代、上野警察署の記者クラブにいて一緒にサツ回りをしていたS社の友人も昨年のクリスマスの日に他界したとの連絡を最近、奥方から受けました。社会部のあと、彼は小生と同じく中国をメインに担当する国際記者となり、香港駐在などを経験しました。小生が香港に行く直前に、当地の情勢や取材先などを教えてもらったことがありました。彼は定年前に退職し、女子大学の教授になり、小生も招請を受けて講演に行った記憶があります。妙にウマが合い、記者時代に付き合いが長かった友人だけに、これまた辛い別れでした。

 この歳になれば、親しい人との別れはいつか訪れる。今まだ別れてもいない友人も、もっと話しておけば良かったと後悔しないよう、なるべく連絡を取り合って会う機会を作りたいものです。

 上の写真は上野公園でのスナップ。一人だったので、外国人女性に頼んで撮ってもらいました。