つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ジョギングで転倒し、顔手足に裂傷、擦過傷多数

 前回ブログで、黄泉の国に行かれた友人のことを書きましたが、友人を思い出し、懐かしんだことが原因かどうかは分かりませんが、小生も危うくあちらの方に行く状況に遭遇してしまいました。黄泉の友人に「お前も来い」と呼ばれたか。というのは、一昨日、小生の自宅近くにある野毛山公園頂上広場の周回コースでジョギングしている時に転倒、前のめりでコンクリート道に激突しました。意識はあったのですが、顔面、手足を激しく打ち、眉毛の上に裂傷、その他の部位で擦過傷、打撲で、立ち上がれず、その場に倒れ込んでしまいました。

 その時、痛さはともかく、顔から大量出血していることが分かりました。天を仰ぎながら思ったことは、「俺は香港の名物イベント100キロトレール競争を3回歩いた男だぞ。なんてこんなところで転倒するほど体力が弱ってしまったのか」。しばらくして立ち上がって自宅に帰ろうとすると、そばにいたご高齢の方が「血がいっぱい出ている。救急車を呼んで病院に行った方がいい」と言うのです。小生は遠慮したのですが、その方が自身の携帯で救急車を呼んでくれたのです。

 実際、病院で分かったことは眉毛の上の裂傷は深く、結局5,6針縫うことになりました。確かに、ジョギングの汗拭き用に持っていたタオルやノースフェイスの長袖シャツにはかなりの血が付いていました。という意味では近くにいた方は恩人です。その時、小生が救急車をあくまで拒否して自宅に戻ったとしても、出血が続き、手当ができないのですから、結局、病院に行くはめになっていたでしょう。

 救急車は、生まれて初めて搬送対象者として乗りました。進行方向とは反対の向きになっている、上半身がリクライニングしたベッドに寝かされる。ベッドにはベルトが付いており、転げ落ちないように縛り付けられます。その後に人定(身元確認)質問。さらには「今日は何月何日?」などと意識調査もされるのです。まあ、ご老体の事故ではよく頭をやられ、意識が飛ぶ人もいるそうですから、「そういう質問は避けられない」と救急隊員は言っていました。

 救急車はご承知のように赤信号無視のノンストップ。これがなんと乗り心地の悪いことか。進行方向に寝かされていないし、信号待ちがないので休む暇もなく左右に振られ続けるので、わずか10数分の乗車でしたが、病院に着いたころには吐き気がするくらいに気持ちが悪くなっていました。小生はもともと乗り物酔いする質で、他人の運転で急カーブの坂などを登り、下りする時や小型船などでは完全にいかれてしまう。なぜか、若い時には克服できたのですが、老齢になればなるほどその症状が増してきました。

 ところで、なぜ黄泉の友人に呼ばれたと思ったのかという話。実は、野毛山公園頂上の周回コースは一周450メートルほど。いつもはここを7週していたのですが、今回は冬場に走っていなかったので、4周で止めようと思いました。そこで4週目に入った時に後ろから強い南風が吹いてきたのです。その風の援護を受けて足は若干速足になったのですが、しばらくしてこのスピードでは危ないと感じたのです。でも、風の援護があるので、無理して足を止めることができない。そうこうしているうちに転倒してしまったのです。

 いつもならありえないスピード。しかも、なぜ倒れ込む前にスピードを落とせなかったのかという反省点。3周が終わった時点で、明らかに足が弱っていると感じながら、なぜ4周目に入ってしまったか。まあ、これは最初から4周と決めていたので仕方ないことかも知れませんが……。思えば、通常では考えられない状況であったように思います。ともかく、小生の意識を高揚させ、体力を過信させた生暖かい南風が曲者です。あるいは、これは黄泉から吹いてきた風か。

 まあ、これは冗談です。この程度の”事故”で正直黄泉の国に呼ばれるとは思いません。小生はまだまだやり残したことが多くありますから、まだまだ行けない。でも、しみじみ感じたことは、老人には意識と体力のギャップがある。それは若い時に体力自慢をしていた人ほど、実際はそうではないのに体力を過信する傾向にある。つまり、老人は、年齢相応の自分の衰えをもっと感じるべきなんでしょうね。

 上の写真は、転倒事故で満身創痍の小生と近所のコンビニ前の花ネモフィラ。痛々しい老人の様子だけでは無粋なので、美しい花をアレンジしてみました。