つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

デモ隊が掲げる毛沢東像の意味

 尖閣諸島の国有化に対して、中国各地でデモがあり、一部が暴徒化しています。今さらながら、中国の異常ぶりに驚かされてしまいます。とても文明国の人間とは思えない常軌を逸した行動。でも、冷静に見てみると、あの暴徒は必ずしも「反日」だけが狙いではないように見受けられます。国内景気の悪さによる失業、貧富の差への怨嗟などによる不満が中国の底辺層に渦巻いていて、それが爆発しているのではないかと小生は見ています。特に、農村から都会に出てきて低賃金で働きながらも、いまだに都市戸籍など与えられない被差別の人たちが暴徒になっていると見ています。
 反日だけでない兆候として、どこかの町で警察の車が暴徒によって破壊されている映像がありました。その車はトヨタだったので、一往名目は「日本車の破壊」ということでしょうが、中国中にトヨタの車など数多くあります。すなわち、これはトヨタ車を名目にして警察の車を狙ったということだと思います。彼らは常日ごろ、公安(警察)や城管(都市警察)から「オイ、コラ」呼ばわりされ、ひどい目に遭わされており、そうした反感がこんな時に出るのでしょう。
 今一つの兆候は、デモ隊、暴徒の一団が毛沢東の肖像を掲げていることです。毛沢東時代は周知のように文化大革命があり、「造反有理」などの表現で暴力が正当化されました。今は「愛国無罪」というスローガンで暴力が正当化されると考えている。つまり、毛沢東像を出すのは、言わば彼らの「念仏札」「免罪符」ごときものでしょう。大河ドラマ平清盛」では、比叡山の僧兵たちが御所に強訴に繰り出す際に「神輿」を担いでくるシーンがありますが、毛沢東像はこれと同じ役目をしているのです。
 もう一つ毛沢東肖像の意味は、貧富の格差への反発、いやずばり行き過ぎた今の改革・開放への反発と言ってもいいのかも知れません。毛沢東時代は貧しいながらもすべての人が平等でした。今はどうか。党幹部やその子供たち、姻戚たちだけが国家資本主義の恩恵を受けて利権を独占、利用し、富を膨らませています。そんなことは、都会に出てきた農民工(出稼ぎ労働者)たちも十分承知のことで、毛沢東を示すことでこの特権独占、貧富の差拡大への反発を示しているのです。
 つまり、この反日暴動をこのまま放置していけば、やがて「反体制」「反共産党」という形に変化していくのは間違いないでしょう。反日が反官僚腐敗、反共産党に転じたケースは1986年、1989年にも見られました。ですから、毛沢東肖像画や「腐敗官僚打倒」などの標語が出てきたことで、党中央幹部は相当の危機感を持ったはずです。きょうの北京大使館への武装警察の警備を見れば、事態が収拾できなくなる危険性を察知したためと理解できます。
 あの暴動の在り方は決して反日だけではありえない。たまりにたまった国内不平等への不満です。だから、あまのじゃくの小生などは、もっと反日とやらの暴動が続けばいいと思ってしまいます。もっと各地で暴動が起き、収拾がつかない状態となり、そして反官僚腐敗、特権批判から反体制、反共産党の暴動まで発展していかないかと思っています。
 末期の清朝中国は義和団事件を利用して排外主義を煽りましたが、その結果弱体化し、間もなく政権は倒されました。今中国共産党も同じように、国内矛盾を排外主義、特に反日に向けさせようとしています。でも、その目論見は、事態の収拾ができなくなることで、結局、政権自体を弱める結末になります。共産党はこうした歴史を知らないはずはないと思いますが、、。
 下の写真は、福島県百名山安達太良山」の頂上付近の風景。小生の背後はこの山のピークがある「乳頭」の岩盤。9月7−9日に香港山海径倶楽部の同窓会があり、裏磐梯五色沼ハイキング、安達太良山登山、そして会津若松市内散策をしてきました。