つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

原因は貧富の差でなく、条件の不平等

 中国に住む大学時代の友人が日経ビジネスの記事を送ってきました。北村豊氏の手になる「中国・キタムラリポート」と題した中国分析記事ですが、この中で、フランス革命期の思想家、アレクシ・ド・トクヴィルの著作「旧体制と大革命」を取り上げていました。北村氏はトクヴィルが「暴力革命は貧困の時代に起きるのではなく、経済が上昇し社会の二極化がもたらされた後に発生する。この時期に階級間の矛盾が激化するからだ」と指摘したことを持ち出し、今回の中国の暴動を理解しようとしています。
 確かに、昨今の中国はジニ係数がすでに0・5に近い数字になっており、階級の二極化が進んでいます。都市部では中間層ができつつありますが、しかし大局的に見れば、国家資本主義の恩恵組と”くず組”底辺層との差は歴然としています。その観点で見れば、きっかけはなんであれ、枯れ木に火が着くようにくず組がすぐに燃え上がる、暴動化する要素は十分にできていたと思います。
 ところで、北村氏がなぜトクヴィルなる思想家を取り上げたのか、小生は理解できます。実は香港情報によれば、次期党大会後の人事で、政治局常務委員になることが確実視される王岐山副首相の愛読書がこのトクヴィルであり、彼は党幹部や社会科学系の研究員にこの著作を読むよう強く進めているというのです。ですから、最近の中国の経済関係の著作にはトクヴィルを引用するケースが多くなっており、たぶん北村氏もそうした中国関係の論文から引用したのだと思います。
 トクヴィルの指摘は当たっていますが、十分ではありません。暴動化の本質はそれだけではないと思うのです。つまり、貧富の差だけでなく、問題は中国には貧富を生む条件やチャンスに不公平があるということではないでしょうか。高級幹部のせがれや娘は、親の力を利用してすぐに利権を金に換えるシステムを構築します。スタートラインが前の方ですから、なんの苦労もなしに金を得られると言っていいかも知れません。その点、権力のバックのない田舎者が膨大な金を貯め、都市で一定の力を発揮するのは並大抵のことではありません。
 また、たとい田舎者が成りあがったとしても、中央、地方政府幹部から難癖をつけられ、挙句の果てには利権を回さないとなれば、報復の”刑事罰”も受けかねません。そういう例は枚挙にいとまがありません。浙江省の貧しい農民女性が地道な商売から始めて大金持ちに成り上がったものの、ささいなことから死刑判決を受けた(その後減刑)「呉英事件」などがその典型です。貧乏人には、どんな能力があっても金持ちになる権利は得られないのです。そういう不平等感がやるせなさに変わり、暴動の引き金になったとも言えるでしょう。
 貧富の差がただ個人の能力や経営力、手腕で決まるものならば、貧しい人は「それは俺にはない」と思ってあきらめることができます。しかし、条件やチャンスの不平等はなかなか納得できません。中国社会の矛盾はそんなところにあることを多くの庶民は感づいているのです。
 下の写真は、会津若松市の名城・鶴ヶ城。来年の大河ドラマ会津を舞台にした山本八重の物語だそうで、城内公園に撮影セットが造られていました。