つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

鉄道事故で権力闘争は佳境に

 中国の高速鉄道事故は、やはり権力闘争に使われ始めたようです。前にも触れましたが、鉄道部は江沢民派が利権を牛耳るところであり、ポストを持たない江が力を発揮してきたのは、こうした利権による幹部への手なずけが大きな理由です。胡錦濤らの共青団派は、江沢民派の利権と権力の壟断にかねてより不快感を持っており、今年初春に、劉志軍鉄道相ら幹部を汚職の罪で逮捕しましたが、今回の事故を奇貨として、一気に粛清に出るかも知れません。
 CCTVの女性アナウンサーが涙声で鉄道省のやり口を間接的に批判する場面がありました。日本の評論家の中には、中国のマスコミも少しは(党の代弁ばかりでなく、庶民の声を反映するという方向で)進歩したのかとの見方も出てきましたが、これはそうではなく、鉄道省批判、つまり胡錦濤派による江沢民派攻撃の一環だと思います。中国マスコミの初期段階の報道で、鉄道部対応の批判を許していたのも、その流れです。
 ただ、反日デモがやがて対共産党非難に転じるのを恐れるように、この鉄道省批判はやがて中国共産党批判に回る恐れがあるため、ある程度のところまで来ると、党中央宣伝部は一転タガを強めて、批判を許さなくなりました。これも中国通から見れば、予想された通りです。
 かつて、1980年代初め、訒小平華国鋒追い落としのために壁新聞を張らせて百家争鳴、百花斉放を許したことがありました。でも、訒派は華国鋒からの権力奪取に成功すると、その後にグリップを強め、民主的な主張を強めた魏京生などを逮捕してしまいました。この時の構図とまったく同じだからです。
 それにしても、胡錦濤派は今回、江沢民の重病、植物人間になったことをいいことに、かなり大胆に上海閥太子党に切り込んでいます。密輸や汚職の罪で訴追され、カナダに逃げていた福建省の遠華集団会長の頼昌星を帰国させたのもその一環でしょう。
 頼はかつて、江沢民派といわれる賈慶林福建省書記の妻とつるんでいたことは公然の秘密であり、賈は累が自らに及び、出世に響くのを防ぐため、遠華事件が摘発されたあと、妻を離縁したほどだったのです。胡錦濤が頼を呼んだのは、免責と引き換えに福建省時代(当時の書記が賈慶林、省長が賀国強のいずれも現政治局常務委員)の悪の構造のすべてを暴露させる約束をしたのでしょう。来年の党大会を控えて、権力闘争は今年夏の北戴河会議に向けて佳境に入ってきた感があります。
 下の写真は、山梨・下部温泉「大黒屋」の客室。部屋から、川のせせらぎが眼下に見られます。