つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

三浦事件ほど面白いものはない

今、ワイドショーで盛んに取り上げらている三浦和義事件ほど、なんといっても興味をかきたてられる事件はないですね。「疑惑の銃弾」というタイトルで最初に週刊文春が報じたとき、小生は北京に赴任していました。唯一自分の金で日本からOCSで取り寄せていたのが文春誌でしたから、あの連載が始まったときには、本当に驚き、そして誌面の展開が毎週楽しみでした。
 妻を気遣う殊勝な夫が実は、妻に多額の保険金をかけ、謀殺したのだというのは、まさに事実は小説より奇なり。推理小説以上のインパクトがありました。次々に出て来る傍証は明らかにクロ。なぜなら、他の殴打事件では殺人を依頼した人(女優)が確かにいて、その事件は有罪となり、本人、三浦とも服役しています。
 妻に対する殺意があったことは他の裁判で明らかになったのですから、米国のコンスパイラシー(共謀罪)で言えば、有罪にできたのです。特に、米国は陪審員制度であり、一般人の熊さん八さんは明らかに彼を有罪とするでしょう。もともと殴打と銃殺人を分離することは常識から言えば、無理があったのです。
 ですから、この事件を日本の刑事当局が引き取ったことがもともと問題だったのです。ただ、日本での捜査を希望したのは、妻一美さんのご両親というから、それはいたしかたないことだったのかも知れません。日本には、コンスパイラシー(共謀罪)はありませんから、実行犯が特定されない以上、あういう結論になるのは目に見えていました。日本が有無罪を裁判官でなく、一般人を使って決める裁判員制度を来年から採用するのも、帝銀事件もさることながら、三浦事件が直接の契機であったでしょうね。
 そこで、きょう朝の番組で、左翼のある評論家がこの事件になんと言うか、興味があったのですが、彼は「私の中では結論が出ていない」などと言って逃げていました。左翼は、寄ってたかれば、死刑反対、犯罪者の人権などとわめくけど、そういう主張がいかに大衆の支持を受けないかを知る評論家は、さすがに反響を考えて、三浦擁護に回れなかったのですね。せめて、毅然と、日本で判断が出たものが沖縄少女暴行の米国でなんで再理なんだよ、疑わしきは罰せずだろうと、なぜ言えなかったか。左翼の限界です。
春になったのに下の写真は、ちょっと古いですが、2月初旬に横浜に雪が降ったときのもの。雪は静寂を印象つけるので、たまにはいいですね。