つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

口パクと毒ギョーザの共通性

 北京オリンピックの開幕式は、石原都知事じゃないけど、ちょっとこれでもかこれでもかという感じで、食傷気味でした。確かに、中国4000年の歴史は素晴らしいですが、あれほどまでに自慢しなくてもいいのではないかと思います。あの光景を見ると、やはり中国にとってオリンピックは国策なんだなと感じます。ヒットラーベルリン五輪のような。
 張芸謀監督の演出を見ていると、中共の意図も垣間見られます。中華文明の素晴らしさの強調。これは実は、今、中国全体をまとめるキーワードになっているのですね。中国はこんな素晴らしい歴史と伝統を持っている、だから中国人民よもっと自信を持て、と訴えているのです。まあ、90年代の江沢民政権のように、人民をまとめるために、反日を利用して若者に反日の感情を植え付けたことに比べると、自らの歴史を賞賛し、自信とすることの方がはるかに建設的であるとは思えますが。
 開会式で、中国の多民族を表現するため、子供たちが民族衣装を着て出て来る場面があるけど、実は、あれはほとんど漢民族の子供たちがやっていたとのこと。さらに、かわいい女の子どもが歌を歌うところもあるけど、あれはその子どもの声でなく、口だけパクパクやっているだけで、歌は別人が歌っていたとのこと。外国からの指摘に、彼らは、別に”やらせ”でもなんでもない、単なる演出上の問題としています。それが彼らの感覚なのでしょうね。中国共産党の歴史も所詮宣伝に過ぎず、うそで塗り固められているのですから。真実に迫るという感覚はゼロに等しい。
 そういえば、今年1月、毒ギャーザ事件のときに、中国の声を拾う当地のサイトでは、「日本人はオーバーじゃないか。人が死んだわけでもないのに」「意図的に中国の製品を悪者にしている」との反論が出たそうな。毒食品も、人が死なないとたいしたことではないという言はいかにも中国的で、これも口パクの演出でもたいした問題ではないという発想と共通するものがあります。
下の写真は、我が家のマオ(毛)。年とともに、かの暴君、毛沢東同様、徐々に横暴になってきています。