つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

中央各紙の元旦社説を見て

 きょう、一週間ぶりに翻訳会社に出社しましたが、年末年始休暇の一週間はあっという間に過ぎた感じがあります。12月28日の仕事納めの次の日、29日は、千葉に行き、船橋市の老人ホームにいる母親に年末のあいさつし、そのあと千葉市郊外の霊園で墓参り、父親に一年の報告をしてきました。そのあと、千葉の小、中学校時代の友人と通信社時代の先輩がたまたま知り合いということで、千葉駅前で彼らと一緒に飲みました。
 30日は、北京時代に親しかった元テレビ局社員夫婦と横浜で懇親会。31日は一日何もなかったのですが、1月1日は、午後に大学教え子だった中国人が自宅に遊びに来て、これまた一献。2日は再び船橋に行って母親に新年のあいさつ、その後に香港時代の友人と船橋で一杯やり、旧交を温めました。3日は自宅にいたもののたまった雑誌に目を通し、これで一週間の休みはおしまい。結局、ほとんど飲み会の年末年始だった感じがします。
 ところで、関心があったので、きょう、会社で中央各紙の元旦社説を見比べてみました。読売は「ニッポン漂流を回避しよう」と題して、「日米同盟は日本の安全保障の生命線だ」と声高にいつもの社論を主張しています。これに対し、朝日は、「日米の両国民がより納得できる同盟の在り方を見出す努力が必要」「日米安保体制はアメリカが必要なのであって…」などとのたまわっている。
 日米安保が米側の必要性からだけのものという発想は、ノー天気で無責任であると思うのですが、この社の姿勢はいつもそうです。日本が今、客観的にどういう位置にあるか、どういう国力にあるか、どういう周辺情勢にあるかなどという視点がまったく欠如しています。
 それから、日米両国民の納得できる同盟などそもそもありえないのです。それは、もともと日米安保条約は片務的であり、主と従の関係にあるからです。第二次大戦に負けて重武装を抑えられた日本は、安全のためにその主従関係を甘んじて受けなければならなかったし、米側からすればなぜいつまでも片務的なのだという思いがあるでしょうから、双方に納得できるものではありません。
 それがいやで日米対等にしたいのならば、相応の責任と負担が必要となることは目に見えています。中国や北朝鮮の脅威に対抗するには、日本は今の軍事費の5倍以上が必要かも知れません。ですから、きれいごとだけで、現実離れした、読者を惑わすような空虚な言葉はやめてもらいたいと思うのですが、朝日のスタンスは相変らずですね。
 下の写真は、ベトナムで撮ったもの。社会主義を標榜している国家にしては、いきなモニュメントです。