つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「友愛」のあいまいさ

higurashi-takanori2010-02-07

 鳩山首相が常々主張している「友愛」ですが、これはもともとフリーメーソンの言葉であるらしいです。おじいさんの鳩山一郎元首相は、マッカーサーの影響を受けたのか、あるいはシンパなのかは知りませんが、フリーメーソンに加盟したようです。それはどうでもいいですが、友愛などというあいまいな言葉で、政治を語ってほしくないですね。あいまいさとというのは、しょせん無価値なものでしかありません。
 国際社会は、基本的には無法の社会であり、国家内で取り締まってくれるような警察組織のようなものがありません。国連をよく警察と誤解している人がいますが、この国連軍も安保理の一カ国でも拒否権を使ったら成立しませんし、成立したとしても、超大国の米国などが主導しないと具体化しません。
 ですから、たとえば、もし米国の同盟国か衛星国が”悪さ”をして国連軍の出動が安保理の俎上に上ったとしても、それが米国の国益に反するものであれば、国連軍は成立しません。国連というのはそういうあいまいさを持っているもので、小沢一郎氏が主張するように、国連主義、国連に頼る外交などというのは、しょせん虚しい期待でしかないのです。もちろん、日本は日本独自の国益を一切考えないというのであれば、話は別ですが。
 日本はやはり自国の国益を中心に据えるのだという観点に立てば、やはり今の民主党政権の外交は危うい。米軍の普天間基地移転問題で、辺野古にノーという状況になり、日米関係に亀裂が入り出しましたが、中国はこの状況をこれ幸いとして、早くも軍部筋から「日本が望むなら、日中間で安全保障の枠組みを考えてもいい」というような”甘いメッセージ”を出しています。つまり、日米安保に代わる「日中安保」構築の誘いです。
 小生は、同じアジアの民として、かつては欧米列強の侵略の危害を受けた国同士として、本来はアジア集団安保で行くことに反対ではないのですが、今の中国の政治の在り様、さらにはアジア全体の政治、経済のばらつきなどを見ると、これは絵に描いた餅でしかないでしょう。やはり、当面は米国との関係を主軸に置くしかないですね。同じように、東アジア共同体なる鳩山首相の構想も、理想はよし、しかし現実的には無理という印象しかありません。
 下の写真は、青森のりんご農家の2人。かなり大規模にりんご園を展開しています。