つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

未成熟な子どもの親も未成熟

higurashi-takanori2010-02-03

 「日本辺境論」なる本を書かれた内田樹先生が週刊誌「AERA」の巻頭提言で、おもしろいことを言っています。氏はある女子大の教授なのですが、4年間教務部長をしているときに、よく「責任者出せ」と言って大学に怒鳴りこんでくる親御さんがいたというのです。そして、こうした親は「立派な社会人ではあるのだろうが、市民的成熟がいささか不足されている方が散見される」と指摘されています。
 先生は明確には書かれていませんが、要はこうした親は得てして傍若無人な振る舞い、要求をするということでしょう。いわゆる小、中学校でもよくみられるモンスターピアレンツというやつですね。授業料を払っているのだから、要求は当然であるという発想なのでしょうが、その要求たるや、ほとんどは無理難題。しかも、自分の子どもを中心にしか考えられない身勝手なものばかりのようです。
 内田先生は最後にいみじくも、「親とのかかわりから一つ学んだことは、未成熟な親の子どもはやはり未成熟で、利己的にふるまう親の子どもは同じく利己的にふるまうことである」と書いています。その面では、家庭の教育力は大切なのだと強調されています。まったくその通りですね。小生の経験でも、学生の在りようを見ると、この子どもの親はどんなのだろうと思わず想像してしまいます。
 幸か不幸か、小生は子どもがいないので、子どもから小生自身が見られる恐れはないのですが、自分のこれまでのふるまいが結局、かなり小生の両親を傷つけてきたことを思うと、穴があったら入りたくなるほどの恥ずかしさであり、申しわけなく思ってしまいます。
 人間は人同士の関係であるのですから、個人は大勢の周囲の人によって形成されるわけで、朱に交われば赤くなる、類は友を呼ぶではないですが、交友関係は大事ですね。ただ、残念ながら、子どもは親を選べないですから、最大の人間形成環境が家庭であるならば、ふがいない両親を持つことは人生の出鼻でたいへんな不幸ということでしょう。せめて子どもはふがいない親を「反面教師」としてとらえる姿勢が大事です。大河ドラマ龍馬伝」に登場する岩崎弥太郎親子を見ると、しみじみそう思います。
 下の写真も、ある日の浅草・浅草寺仲見世通り。