つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

野田のサディスト父親の行為は理解不能

 このブログの題名にも使われている吉田兼好徒然草風に書けば、この世に悪しきものあまたあれど、げにこのことこそあさましき…という書き方になってしまいます。それは、例の千葉県野田市に住む父親(両親か)による子供のいじめです。こんなことが本当にあるんですね。

 小生は子供がおらず、育てた経験がないので、真の意味で子供への接し方も分からないし、しつけの仕方も分からない。もちろん、日ごろ学生を相手にしているので、一般的な若者との接し方には慣れています。でも、極端な言い方をすれば、学生はしょせん他人であり、最後は見放してしまうことはできるのです。

 実の子供となると、そうはいきません。最後まで責任感がありますから、齟齬をきたした時、最後のところでどう接すればいいのか、問われると思います。多くの親が悩んでいるところでしょうが、実子を持たない小生に敢えて言わせていただけるとしたら、それは、最後は子供に対する深い愛情、思いやりを見せられるかどうかだと思います。

 常識的な物言いですみません。自分の命に代えてでも子供を生かしたい、まっとうに育てたいと思う心、信念が大事だと思います。その親の心は目に表れてくるでしょうから、子供はそれを敏感に感じるはずです。ですから、子供がたとい体罰を受けたとしても、親の目に愛情を感じる限り、受け容れるものだと思います。

 野田市の子供のケースは、非公開を前提にした教育委員会のペーパーで、親の暴力を訴えています。これだと、子供は親との関係を冷静に切断していると見ていい。愛情を感じていたとはとても思えない。つまり、父親は自分を意味もなく殴っていた、いじめていたという暴力だけの人間だと映っていたのでしょう。

 まさに、しつけとは程遠いサディスティックな行為と思われますが、血を分けた子供に対し、果たして死に至らしめるまでそうした行為ができるのものなのか。親にとって、子供は無条件にかわいい、いとおしい存在だと頭の中で思っている小生には、野田市の父親のやり口は本当に不思議で、理解不能です。

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 上の写真は、大学へ行き帰りの路上で見つけた風景。このおもちゃ人形を父親に無惨に殺された女の子に届けてあげたい。