つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

1年10日間の美しさ求めて桜植える日本人

 あれよあれよという間に4月に入り、今年ももう3カ月、つまり4分の1が終わってしまいました。時の流れというのはなぜこんなにも速いのか、特に年を取るとめっぽうこの流れが加速するようです。残念ながら、先週の隅田川の屋形船花見は満開時期を逸しましたが、4月1日のエイプリルフールの日の夜は、市ヶ谷の土手での花見はほぼ満開でした。
 これは、友人の出版社が毎年、同じ場所で開いている花見の宴ですが、おつな寿司セミナーの勉強会仲間が20人ほど参加しました。この席で、誰ともなしに出てきた会話は「この不景気のときに、これだけの宴会を開くとは景気のいい会社だよね」ということ。しかし、出版社の友人に言わせれば、これでさまざまな取引先を招待でき、れっきとした営業上の”接待”の意味が込められているとか。その観点に立てば、確かに、銀座で飲ませるよりはるかに効果的で、安上がりな接待でもあるのでしょう。
 3日の土曜日は、小生の自宅近くの桜木町大岡川の土手を犬の散歩を兼ねて花見してきました。先般ご覧に入れた写真ではまだ桜の木は坊主状態でしたが、下の写真のように今はまっ盛りです。桜の花の中に提灯が浮かび、桜の下には屋台も出ていました。桜はなぜか、日本人の心を浮かれさせるようで、昼間から酒杯を持って歩く人、ビニールシートで宴会する人もいて賑わっていました。
 藤原正彦氏の「国家の品格」なる本の中に、日本人はなぜ桜にこれほどまでの思い入れを持つのかという問いかけをしています。春のたった10日間ほどのきれいさを味わうために、日本人は、木そのものはごつごつして見てくれはよくないし、しかも毛虫はいる、葉もそれほどきれいではない樹木を各地に植えている。その不思議さを説く鍵として、藤原氏は、日本の精神性に合っているからだと言っています。彼が推奨する日本人の美学は武士道であり、美しいまま散る桜と武士道を重ね合わせているのです。
 小生もこの見方に大いに納得できるものがありました。特に、染井吉野は葉が出ないまま木全体が花に包まれ、一定の時間を経て風とともに散り、今度は木の下を桜色の絨毯にする。その見事さ、圧倒的な美しさは小生ばかりでなく、日本人であればだれでも魅力を感じないわけにはいかないでしょう。