つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

もっとましな人を選べなかったのか

 普天間基地の移設問題はついにデッドロックになってしまったようです。もともと、辺野古の沖合に移転がほぼ決まっていたのに、まったく先が見えないおばかな鳩山のおぼっちゃまは、「できれば国外移転、少なくとも県外」などと社民党が喜びそうな御託を並べたものですから、事態はぐちゃぐちゃになり、もはや収拾がつかなくなってしまいました。
 首相就任前後に「少なくとも県外」と言うものですから、当時、小生は、鳩山首相はたいしたものだ、ちゃんと沖縄県以外の場所に目星をつけ、そことひそかに交渉しているのだなと思いました。ところが、半年以上たった現在、下交渉どころか、まだ候補地も決まっていないという。ばかじゃないの。それなら、なんで先を見ず、軽々しく「県外」などという言葉が出てきたのか、まったく分からない。
 この男はどうも首相の言葉の重みがまったく分かっていないようです。各大臣がさまざまなことを言うのは勝手ですが、首相がいったん口にしたことは、これは確たるものでなければなりません。それを朝令暮改、いや朝令昼改とばかり、朝と昼とで発言が違うのですから、こちらの方は、あきれてものも言えない。どうしてこんなのが首相になったのか、民主党ももう少しましな人間を据えるべきではなかったかと思うのは、小生一人ではないはずです。
 そもそも、海兵隊基地のグアム移転などというのは愚の骨頂です。米軍の在日駐留基地は、日本の安全のためにあるのであって、左派が言うように、沖縄の米軍基地は彼らの都合、彼らの世界戦略の中で位置づけられるもので日本と関係ないと言うのは偏狭すぎる。米軍を不法な占拠者として見るのでなく、日本のための人柱、人身御供と位置づけ、この存在によって日本自身の防衛力は少なくて済むと考えればいいのです。
 日本から米軍基地がなくなり、グアムに行ってしまったら、この役割がなくなってしまい、沖縄は中国の潜在領土と言っている中国は、沖縄、先島諸島に必ず影響力を強めてくるでしょう。そうなれば、もはや、尖閣諸島の領有を争うどころではない。米軍がいなくなったあとのフィリピンの周辺海域で、どのような事態が起きたか、われわれは冷静に振り返らなければなりません。本来、法が存在しない国際政治は冷厳なものなのです。
 下の写真は、上の場所と違うイタリアレストランの店先の風景。横浜には、なぜか「真実の口」を飾る店が多いのです。