つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

労働市場もグローバリゼーション

 週刊誌を読んでいたら、大前研一氏がおもしろいことを書いていました。日本の大学卒業予定者の就職内定率が8割程度と過去最低になったのは、世界に通用する日本人学生、企業が採用したくなる人材が育っていないからだというのです。つまり、不景気が原因ではなく、グローバリゼーションに伴う構造的な問題であると指摘しているわけです。
 確かに、今、中国から大量の留学生が来ており、彼らが一定の能力を身につけて日本で就職を望んだら、何も手に能力を持たない日本人学生はとたんに排除されてしまうでしょう。企業にとって、今や、社員の国籍など関係なく、要はスキルを持っているかどうか、企業のためにそのスキルを発揮してくれるかどうかという点が大事なのです。企業自体が多国籍化している時代に、日本人社員でなければならないという保守的な考えを持つ企業は少なくなっているのではないでしょうか。
 日本も労働市場、就職でグローバリゼーションの波に翻弄されているのです。かつて国際航路に就航する商船の船員は、すぐに発展途上国の人間によって席巻され、日本人船員の数は少なくなりました。それは当然で、先進国の労働者は労賃の安い仕事を毛嫌いするわけですから、同じ労働内容、低賃金であれば、途上国の人間に取られてしまいます。船員からやがてスチュワーデスにもこの傾向が及び、勢いかつては高給取りだった日本人スチュワーデスも低賃金化していってしまいました。これは、労働力の流動性に伴う国際平準化ですね。
 アメリカでは早くからこの傾向が見られ、IT先進企業がひしめくシリコンバレーは、インドや中国の優秀な人材が一攫千金をものにしていますし、逆に「プアホワイト」という人種も生んでいます。日本もこの傾向が強まっているということでしょう。日本人の学生はこれから日本で就職するにしても、国際的な労働市場の中での競争が迫られています。たいへんな時代になりました。
 教職のはしくれでもある小生は学生に対し、「もはや大学の卒業証書などなんの意味もない。他人に誇れるスキルを身につけることが必要だ」と口をすっぱくして話していますが、学生もようやくそのことに気がつき始めているようです。当たり前のことですが、グローバリゼーションは競争を広域化し、より激化させるものなのですね。
 下の写真は、横浜・伊勢佐木町商店街にあるイタリアレストラン店頭の「真実の口」。これを見ると、映画「ローマの休日」を思い出します。