つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

清貧の思想は本当だ

 中野孝次さんの「清貧の思想」ではないですが、小生は還暦を過ぎてつらつら思うに、それほど金持ちになりたいとか、もっと金がほしいという気持ちには不思議とならないのです。もちろん、金がないと不安だし、ないよりはあった方がいいのかも知れませんが、最低限老後に備える金があり、今の生活に困らず、年に1、2回、普通の旅行ができる程度の余裕があれば満足で、大金が欲しいという欲望はありません。
 小生、学生にはいつも言っているのですが、人間が棺桶に片足を突っ込んだとき、多分、自分はどんな一生を送ってきたかを総括するはずです。その時、金をためてうまいものを食った、こんな贅沢をしたということでは人間、満足はできないのではないかと思います。やはり、どれだけのことがこの社会ためになしえたか、残せたか、どんな思いを後世の人に伝え得たか、といったことで満足感が違ってくると思うのです。
 この話に及ぶ時、いつも黒沢明監督の「生きる」を思い出します。市役所勤めの男ががんを患い死を宣告され、そのあとどういう心境になり、行動を取るかを描いています。彼は最初、快楽におぼれようとするが、それでは虚しさが募るだけ。やがて子どもたちの公園造りという社会貢献の道を選び、それに奔走します。それはあたかも、自分の生きた証を求めるように。
 実は、小生の友人にも中国人の大金持ちがいて、彼は子どもに数億円残すつもりなどと豪語し、贅沢な車に乗り、贅沢な食事をして金持ちらしいそぶりを見せています。でも、西洋人のけた外れた億万長者のように自家用ジェットやヨットを乗り回し、世界で豪遊し、城に住むといった感じには至っていません。その点では、中国人の金持ちの存在感はまだまだのようです。
 下の写真は、5月の連休前に行われた野毛の大道芸イベント。この全身総塗りの男のパフォーマンスはなぜか人気があり、黒山の人だかりでした。