つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「カチンの森」の意味

 ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の最新、話題作「カチンの森」を見てきました。彼の作品の特徴は、戦争悲しいという紋切り型のストーリー、演出でなく、戦争がもたらすさまざまな側面に光をあて、最終的に、国家の指導者の重要性、安全保障の必要性を訴えることにあり、それが観客に強い印象を残しているのだと思います。
 衆所周知、だれもがご承知のように、第二次大戦開始直前に不可侵条約を結んだスターリンソ連ヒットラー・ドイツはポーランド分割の密約をし、ドイツの侵攻に合わせてソ連も北から侵攻、これによってポーランドは他国に分割統治され、民族は国を失います。その際、ポーランドの将校たちはソ連の捕虜になるのですが、スターリンはこの青年たちが将来、ソ連ポーランド支配にマイナスになると判断し、ソ連領内に連行し、虐殺します。その虐殺現場の一つになったのがカチンの森です。
 戦争に負ければ男は殺され、女性はレイプされるというのは敗戦国の宿命みたいなもので、それは古今東西変わりません。ですから、国家の安全保障は何にも増して重要なことであり、国同士が陸続きで延々と侵略、被侵略の歴史を繰り返してきたヨーロッパの民はすぐに理解できることなのですが、日本のおばかな今の政権はそれが分かっていません。でも、今回はその安全保障が論点ではないので、これ以上は書きません。
 ソ連は第二次大戦後、カチンの森の虐殺の実行行為者はナチスドイツであると虚偽の宣伝をし、戦後ソ連支配下に入ったポーランド共産主義政権は、このソ連の国家総ぐるみのうそを知りつつ覆すことができませんでした。ワイダ監督がこの映画で描きたかったのは自分たちの忸怩たる思いであり、第二次大戦時の悲劇でなく、むしろ戦後45年以上にわたり他国の力にねじ伏せられてきた民族の哀しみなのです。
 戦争で死ぬより、言いたいことも言えないで生きていく哀しみの方がもっと辛いということでしょう。直接、間接にかかわらず他国の支配を受ければ、かならずそういう状態に置かれることは火を見るより明らかです。映画の観客は、その点までもっと真剣に考え及んでいかなければ、自身の父親もカチンの森で虐殺され、父母への思いからこの作品に全精力を注ぎ込んだワイダ監督に申し訳が立ちません。
 内閣調査室で講演するため訪れた内閣府ビル内でテレビで見知った看板を見つけたので、写真に納めました。ところで、民主党に果たして国家経営の「戦略」があるのか、と思わず頭を巡らせてしまいました。