つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

新年、改めて国の有り難さ考えたい

 NHKドラマ「坂の上の雲」を見ていると、兄の秋山好古が弟真之に対して、「たとえ秋山家がなくなっても国のために奉仕しよう」と促す場面が出てきます。これまでの日教組教育であれば、国のために人が死ぬなどと教える番組はけしからんということになるでしょう。しかし、昨今の日本をとりまく情勢を見ていると、この言葉が妙に真実味をもって迫ってくるのです。
 どこかの大新聞はかつて、われわれは日本人である前にコスモポリタン、地球人であるべきだと主張していました。これは環境問題などを考えると一面真理です。ですが、地球を支配する共通の法やその法を執行する力は現時点では存在しません。
 残念ながら、まことに残念ながらわれわれが望む「平和を愛する諸国民の公正と信義に依拠して」という現憲法の世界は現実にはないのです。依然地球は弱肉強食の覇権主義帝国主義がまかり通っているのです。ですから、われわれはそれに対処しなければなりませんが、その防衛の単位が国であることは論を待ちません。
 国際関係論を受けている小生の一部学生は「日本が他国に攻撃、侵略されたらどうする?」と質問すると、「逃げる」という答えを返してきます。国は悪きもの、そんなものは無視して逃げるべきだというのは日教組教育の悪しき影響でしょう。しかし、彼らはどこに逃げられると思っているのでしょう。そのとき小生は、国を領土を失った民族がどんな悲惨な目に遭うか、ユダヤ人やパレスチナ人の例を挙げて説明します。
 すばらしい法や制度を活かせる空間として領土というものは絶対欠かせません。たとえ100人のうち10人が犠牲になっても、それを守り抜く覚悟が必要です。秋山兄弟は日本が欧米列強に侵されそうになった幕末、明治初期の帝国主義の時代を知っているから、冒頭の気概が出てくるのでしょう。
 90年までの冷戦構造、その後のパクスアメリカーナの時代では平和ボケでよかったのかも知れません。しかし、米国による覇権安定状態が弱まり、無秩序化するこれからの時代は、個々の国家を国民自らが守る気概を見せなければ、自由と民主主義というすばらしい法と制度を持つ日本国は確実に滅んでしまいます。新年に当たって、われわれは今一度頭を覚醒させて、国の有り難さを考え直さないといけません。
 下の写真は、沖縄本部半島にある美ら海水族館のイルカ。人懐っこいイルカで、いつも人が見えるガラス越しに寄ってきて愛嬌を振りまきます。