つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

年末年始は恒例の原稿書き

 年末29日から年始4日まで休みましたが、この7日間休暇もなんとなくボーとして終わった感じです。29日は、老人ホームにいる母親のところへ年末のあいさつに。このあと、小生の事務所で秘書役をしてくれていた中国人女性が辞めて山東省に帰るというので夜9時半過ぎ、東京駅前まで見送りに行きました。彼女は大阪や熊本の友人のところに寄ったあと、1月中旬に下関から船で青島まで帰る計画です。
 深夜の見送りになったのは、東京から大阪まで行くのになんと夜行バスを利用するからです。新幹線で行けば3時間弱の距離ですが、夜行バスですと、10時に出発して朝7時の到着なんですね。料金は4000円程度と安いのですが、多分、十分寝られないことを考えると、小生のような年寄りには向かないでしょう。でも、バスの出発地点に行ってみると、若者を中心に結構利用客が多く、びっくりしました。
 30日と31日は家で頼まれ原稿を書いたり、テレビを見たり。元旦は、小生の事務所と同居している会社の中国人社員が自宅を訪ねてきました。南寧からテンポラリーで来ている彼女に日本の正月を経験させようと小生が招待したものです。家の近くの成田山分院で初詣で、自宅でおせちなど食べた後、横浜港が見える山下公園、中華街を案内してあげました。
 2日も原稿書き、3日は小生の母親がいる老人ホームに姉たち夫妻や小生と内人が集まり、そのあと船橋のしゃぶしゃぶ屋さんで小宴会を開きました。小宴会もほどほどに同じ船橋で、香港時代の友人と会う約束をしており、駅前で落ち合い、居酒屋へ。地方の企業幹部になっている彼の中国経済観や地方企業の中国進出意欲などをサウンドしてみました。
 4日はまたまた原稿書き。3年前に行った中朝国境旅行関連で、図們江下流域開発の現状についてのリポートを頼まれたのですが、十分な時間のおかげでこの原稿は書き終えました。さらに中国研究所の中国年鑑用の原稿もほぼ半分書き終えました。安い原稿料とは言え、毎年恒例であるだけに断れないまま、今年も執筆陣の一員です。
 下の写真は、沖縄那覇市内の国際通りで見たシーサーの土産物。