つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大相撲にも人情があっていい

 基本的に大相撲幕内上位、少なくとも優勝に絡む取組について、小生はガチンコだと思っています。ただ、若の花、貴乃花の兄弟で優勝を争ったときは例外だったでしょう。父親が貴乃花に負けるようささやいていたといううわさが立ちましたが、事実だとしても別に驚きません。
 弟の方が明らかに強いのは分かっていたので、そのまま勝ってしまったら意外性はないし、第一、兄弟で争えば人情がわくでしょう。あの時の取組はよく覚えていて、若が正面土俵に寄り立て、軽い投げを打った時点で、貴が転げました。相撲見の大方はガチでないことは分かったでしょうが、それを指摘するのは大人げないものです。
 7勝7敗の力士が勝ち越しの力士と争った場合、8割が勝ち、そして翌場所はそのお返しをしているように勝った方が圧倒的に負けているとアメリカの大学の先生が著書で分析した内容をテレビで報じていました。これは当たり前で、勝ち越すか負け越すかは天国と地獄の違いであり、給与にかかわってきますから7勝7敗の方はより真剣になります。
 また、相撲はしょせん人間がやるゲームですから、千秋楽ですでに自分が勝ち越しており、相手が7勝7敗ならば、それなりの配慮をするでしょう。今話題になっている仲介人が携帯電話で取り持つ仕組みでも何でもなく、阿吽の呼吸というものです。それが人情というものです。
 そうした人情相撲までけしからんというならば、少なくとも十両に入った力士は部屋の束縛をなくし、同部屋同士は当たらないというへんなルールを廃止すべきです。同部屋同士が当たらないというのはもともと人情を配慮したものでしょう。つまり、相撲協会は人情が入り込む余地を認めているのです。
 さらに、力士同士がプレイベートで付き合ってはならないという厳密な規則も設けるべきです。本当にガチンコでやるなら、人情を持ち込む一切の状況を排除しなくてはならないでしょう。でも、相撲はしょせん2人だけでやるゲームだけに、これらを一切排除するのは難しいと思います。
 下の写真も、リボンをした我が家のマオ。