つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

福島産花火の忌避はやりすぎだ

 愛知県日進市というところ、ここに住む市民は神経質すぎないか。というより、なんと料簡が狭く、自己中心的な人が多いことかとの印象を強く持ちました。大震災復興を願うという名目の花火大会に福島県産の花火が持ち込まれたことに対し、市民から苦情が殺到したというのです。花火にセシウムなどの放射能が付いていて、空から撒き散らされるのではないかと心配したようです。結局、市当局は苦情に屈して福島産の使用を控えました。
 あまりにもばかばかしくて、開いた口が塞がりません。花火が福島第一原発の建屋の中で作られたわけでなし、原発から数十キロ離れた花火工場(たしか川俣町)の中で作ったものに、どうしてセシウムが付くのでしょう。たとえ付いていたしても、微々たるもので、それが市民の健康に害を与え、市民生活に大影響を及ぼすなどというものではないでしょう。
 今回の日進市市民の心無い苦情もさることながら、市当局のやり方は、中世の魔女狩りにも似て根拠なく断罪するもので、福島県民の心を踏みにじるものです。痛みをわかち合わなければならない日本国民同士なのにと思うと、鈍感な小生でさえ切ない気持ちにさせられてしまいました。
 小生の故郷である船橋市でも以前、福島県から引っ越してきた小学生に対し、同級生が「放射能汚染だ」といじめの対象にしたようです。そのほか、福島産の果物は売れない、観光地は人が来ないなどと、まさに福島県民は原発被害だけでなく、その後過度の反応、風評被害などという幾重の災難に遭わされています。彼ら自身のせいでもないのに、どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのでしょう。
 われわれは今、神経質にならずに、福島県人や県産品を受け入れ、県民の苦悩を少しでも和らげてあげるべきではないでしょうか。子供がいる家庭が神経過敏になるのは分かりますが、せめて50歳以上の人たちは、行動で福島県への一体感を表すべきです。
 下の写真は、黒竜江省大慶市の大湿原の中を通るハイウエィーの風景。毛主席から「工業は大慶に学べ」と言われたほど、石油で有名な町ですが、現地に行ってみて驚いたことに、大湿原がありました。