つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

愚行権はあってもいい

 先日、産経新聞を読んでいたら、たばこ税上げについて2人の有識者が賛否双方の立場から議論を交わしていました。最近、たばこ税論議については、ボートレースの主催団体である団体の長まで参入し、一箱1000円の値上げ説を盛んに主張し、かまびすしい感があります。小生はたばこを吸いませんが、以前にも書きましたように、たばこ税の大幅値上げには反対です。
 2人の有識者の意見のうち面白いなと思ったのは、たばこ税上げ反対の論者が「人間には愚行権がある」と主張したことでした。つまり、人間は何も全員が石部金吉になる必要はない、ばかなこと、駄目なこと、体に悪いことであっても、法を破らない限りやってもいいのではないか、あくまで個人の生き方の問題なので、そういう愚行を選択する権利はあるのではないかと言うのです。
 愚行権とは言い得て妙であり、思わずうなってしまいました。そう言えば、大酒を飲むのも愚行だし、決して儲からない博打にうつつを抜かすのも愚行だし、他人から見ればつまらないものを集めるコレクターや、金にもならない趣味に熱中するのも愚行だし、この世の人生は愚行ばかり。愚行は人生の味付けであるばかりが、人生のエセンスそのものであるかも知れません。
 たばこが体に悪いことは喫煙者も重々承知ですが、弛緩した脳に刺激を与え、しゃきっとすることもよく知っています。肉体労働者が休憩に取る一服というのは至福の時であり、最高の嗜好品となりましょう。たとえたばこを吸うことで、寿命が数年短くなるとしても、人によってその至福の時間がぜひ必要と言うならば、それはそれでいいのでは。他人がとやかく言うことではありません。
 問題は、小生も含めて他人の煙を吸うのはいやだと思う人がいることです。最近、街で歩きたばをする人の煙がこちらにかかると腹が立ってしまいますが、だからと言って小生は短絡的にたばこを禁止しろとは思いません。もっと分煙を徹底してくれないかなと思う程度です。
 そう、分煙が必要です。少なくとも、JTさんはたばこを専売的に扱うのならば、外国食品企業の乗っ取りなどに手を出さず、幾分かの金で繁華街の街のあちこちに「阿片窟」ならぬ「たばこスペース(部屋状にクローズドしていると有り難いですが)」を建設してはいかがでしょうか。そういうものがあれば、歩きたばこも減るでしょう。
 2回前のブログの写真に対し、Q太郎さんから「これが花魁かよ」という疑問が呈されましたので、改めて花魁とその介添人の写真を出します。先に花魁介添人が両手に花としていたのは、着物ショーに出た女の子です。