先ほどまで、震災特別ドラマ「3・11その日、石巻で何が起きたのか」を見ていました。震災直後に輪転機が止まり、壁新聞を発行した地元紙・石巻日日新聞の苦闘を描いたドラマでしたが、見ていて涙がこぼれるほど感動しました。「壁新聞はジャーナリズムの原点。壁新聞によってでも情報発信し続けたのはえらい」というありふれた讃辞はさておいて、取材対象状況の中に入り込んだ記者がどう対処すべきか、どう伝えるべきか、という視点での構成になっており、元記者の端くれとして本当に考えさせられました。
一般に、記者は取材現場に駆けつけるとき、その取材現場の状況の中に入ってはいないもの。つまり、記者はあくまで「私、伝える人」として俯瞰的な立場にあって、取材される人とは別のステージにいます。小生も何度か災害現場を取材しましたが、その現場から東京に帰れば、まったくいつもと変わりない自分の日常生活が待っていたのです。そういう意味では、取材は仕事、生活は別ということでした。
しかし、今回の大津波で日日新聞の記者、社員の一人ひとりは家族との音信が途絶え、さらに満足な食糧や燃料のない中で生活し、心配し、その一方で取材し、そして記事にします。記者自身の生活が津波にずたずたにされるという状況、別の言い方をすれば、記者自身が取材されてもおかしくない状況にあったわけです。そんなときに、果たして記者はどういう行動を取るのか、取らなければならないのか、小生自身が経験したことがなかっただけに、強く考えさせられました。
このドラマはまた、情報とは何かという点についても強烈なメッセージを発しています。女性デスクに「暗闇の中では情報は光なんですね」と言わしめていますが、この言葉は印象的でした。今まで、日本でこんな情報過疎に置かれた状況ってなかったでしょうね。小生が小さいころ台風が来て停電になっても、ラジオで情報が入っていましたから。しかし、今回、津波で逃げた人はラジオすら持ち出せなかったでしょう。日本は普段、当たり前のように情報過多の中にありますが、今回の大震災、津波でそういう情報過疎が出現したことに、今さらながら驚いています。
情報がなくなって飢餓状態が生まれたときに、石巻日日新聞がその状況を打ち破るため、壁新聞の制作を発想したことは本当に素晴らしいことで、尊敬に値します。生活者にとって地域密着情報はこんなときこそ必要であり、まさに地元新聞の原点、あるべき姿と言えましょう。同紙は今、発行部数が減り、広告収入も少なくなっていると聞いています。でも、頑張ってほしいし、盛り返してほしいですね。
下の写真は、宮城県女川町から石巻市街地を遠望したもの。手前の船の帆が十字架に見えました。
◎準おつな寿司セミナー(通称パンダの会)
とき 4月14日(土)午後3時から5時まで
ところ 渋谷「パンダレストラン」地下一階大広間
道玄坂登ってすぐ左、地下に入った中華レストランです。
地図http://r.gnavi.co.jp/g607500/map/
講演者 ドキュメンタリー映画監督、作家 山谷哲夫氏
講演テーマ「新大久保コリアタウンの裏側」
参加費 軽い酒と食事付きでだいたい3000円
連絡先 富澤tomizawa@jwa.or.jp
日暮higura@coast.ocn.ne.jp