つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「遊びをせんとや」の理解

 昨年、NHKの大河ドラマ「江」についてさんざん酷評してきたので、今年の「平清盛」についてもそろそろ触れなければなりませんが、小生いまだきちんとした見解がありません。兵庫県知事が言うように「汚い」画面とは思いません。まあ、これは「龍馬伝」のときと同じ撮影技術であり、画面上の当時(平安時代末期)の風俗もおおよそあんな感じだったのでしょう。
 それより、あのドラマを見て印象に残ったのは、第一回放映で、吹石一恵演じる清盛の生母の登場シーンで流れた「遊びをせんとや、生まれけむ、戯れせんとや、生まれけむ」という歌の歌詞です。このフレーズはその後の回でもしばしば登場します。どうやら、この曲と歌詞が全編を通した「平清盛」の主旋律のようです。
 ネット情報によれば、もともとは、後白河法王が編纂した歌謡集「梁塵秘抄」の中に出てくるもので、かなり有名な歌なのだそうです。歌の意味は、これも受け売りですが、「遊女が子供の声に触発されて、我が身の罪深さを嘆く歌」とも言われるし、単に「子供の純真な愛らしさを歌ったもの」とも言われています。「いや、そうではなく、もっと深い意味がある。人間は、遊びや戯れをするためだけに生まれてくるのではなく、もっと長くて苦しい道のりを歩まなくてはならない存在である。そう認識していればこそ、かえって遊び戯れる子供の声の可憐さに感動するのだ」との解説もあります。
 まあ、本来の意味はどうでもいいでしょう。ただ、小生はこの歌詞を聞いたとたん、香港時代に親しくさせていただいた政府系組織幹部O氏の言をなぜか思い出してしまったのです。彼は「日暮さん、人生なんて、生まれてから死ぬまでの膨大な暇つぶしですからね」とよく言っていました。小生にとって、この言葉は納得できるし、ある意味人生観を変えたくらいにショッキングなフレーズでした。
 その言葉がなぜショッキングだったかについて、るる説明しませんが、「遊びをせんとや、生まれけむ」と聞いたときに、ははん、これも人生の本質をついた歌なのではないか、ひょっとしたらO氏から承った上記のフレーズと同じ意味なのではないかと、なぜかそう感じたのです。
 ネットの解説によれば、どうやら真反対の違いがあるようですが、小生にはあの歌詞が流れると、今でも達観した歌のように聞こえてくるのです。人生を長い暇つぶしと感じれば、あらゆる地位や名誉は虚しくなるし、苦しさをわざわざ求めることも必要なくなります。少なくとも、余生はそういう達観した生き方でいいのではないでしょうか。
 下の写真は、秋葉原にあるゴーゴーカレー屋さん。大盛りで有名で、若い男性が行列を作っていました。