つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

高橋克也の次の逃亡先はどこか

 オウム真理教の菊池直子がとうとうつかまりました。17年以上にわたって逃亡していたとはある意味ご立派で、その精神力に頭が下がる思いもあります。それにしてもまたまた一般男性がその素性を知りながら、同居していたとは恐れ入ります。彼は菊池に人間的魅力を感じ同情心から助けたのか、あるいは単に男女関係の継続意思から助けたのか。調べてみないと分かりませんが、オウム事件のその恐ろしさを覚えている身からすると、こういう助っ人の輩がいることに小生は驚いています。
 昔、米国のテレビドラマで「逃亡者」というのがありました。デビット・ジャンセンという役者が、何か逃亡者にふさわしい影を抱えたリチャード・キンブルという主人公の役柄をうまく演じていました。その中で小生は強烈な印象として残っているのは、市井の人がたまたま逃亡者とある場所で接し、親しく付き合い始める。その結果、「殺人事件の犯人で、逃亡者である」ということを知ってしまいながらも、なぜか最後に彼の味方になって逃がしてしまうことです。
 これは心理学上ではストックホルム症候群などと呼ばれていますが、実際に起こりうることなのですね。同居の男が結婚を申し込んだとき、「私は菊池直子なので結婚できない」と答えたそうですが、これを聞いて、かの男はどういう心理状態に陥ったのでしょうか。その辺はまさに壮大な葛藤があったと思われます。ですから、小説の題材にすれば書き手がその力量を全面的に披歴できるほどの面白い描写も可能ですね。
 彼女が隠れていたのは、相模原市の城山地区。城山は昔、城山町として独立の自治体でしたが、ほんの数年前の大合併で相模原市に入ったのです。小生も何回か行ったことがありますが、都会とは違う準農村の風情。つまり、隣近所の人への関心が結構あるところだと思うのです。ですから、彼女らがなぜここを隠れ家に選んだのかは不思議です。たぶん、今回の逮捕劇も近所の人の不審な思いから通報に至ったのだと想像できます。
 その点、川崎の繁華街を隠れ家にしていた高橋克也はこれまたある意味立派です。巷間、彼は「逃亡のプロ」と言われているそうで、まさにデビット・ジャンセンの逃亡者をほうふつさせる感もあります。そこで俄然注目されるのは、彼は次の隠れ家としてどこを目指すのでしょうかということ。小生の見立ては意外にそれほど遠くないところ、東京か横浜かと推測します。
 当然、彼は菊池直子が城山のような準農村を隠れ家に選んでつかまったことを”反面教師”として学んでいるはずです。つまり、田舎での関心性に比べて都会は圧倒的に他人に無関心ですから、彼はまたまたそこに韜晦することなると思います。
 下の写真は、東京のさるところで撮った紫陽花の花。小生はアジサイの色が大好きです。特にアジサイブルーにはいつも感動させられます。でも、紫陽花はやはり雨に濡れた時が一番いいですね。