つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

尖閣問題に別の視点はない

 昨日、石原都知事が国会に呼ばれ、尖閣諸島の購入問題で発言しました。いちいち彼の言うことがもっともなので、別段ここでの話題にするつもりはないのです。問題は、このニュースを報じたテレビ朝日報道ステーションでの古舘なる司会者のコメント。「熱くならず、別の視点からの見方も必要」との発言でした。
 ジャーナリズム的に言えば、そのコメントは基本的に間違っていません。ただ、ではどういう見方ができるのかという点が大事で、そこには古館氏は触れませんでした。さすがに、このテレビ局のバックについているA新聞のように「まだ、話し合いの余地がある」「時間をかけて話し合いを」などという紋切型のことは言わなかったけど、明確な視点の提示もなかったのです。
 尖閣諸島は、「この島は我が国の領土である」という中国側の主張をおもんぱかって日本側が人を派遣したり、施設を作ったりしないで、ずっと”好意的放置”をしてきたのですが、これは日中関係を壊したくないという日本側の精一杯の誠意なのです。それをいいことに、中国は近年の軍事力増強とともに、尖閣の周辺に監視船を遊弋させて、好意的放置による現状維持状態を壊そうとしています。石原氏の言うように、「これから強盗に入るぞ」という意思表示なのです。これを放置してどうして主権国家だと言えますか。
 小生が教えている学生たちの反応にも見られますが、「なぜ外交的な交渉ができないのか」「話し合えばいい」。しかし、クラウゼビッツが「戦争論」の中でいみじくも指摘しているように、力を背景にしない外交交渉など本来はありえません。まして領土問題となれば、そもそも話し合いでの解決が無理であることは、古今東西の歴史が証明しています。
 日本が尖閣を放棄するのであれば、話し合いは進むでしょうが、そうなると、もう日本は中国の朝貢国、属国とまでは言わないまでも、影響を受ける国、つまりフィンランド化した国家ということになってしまうでしょう。「沖縄自体も中国のもの」と言われるかも知れません。ですから、日本が主権を守りたいのなら、日中の軍事力の優劣でしか尖閣を考えるしかないのです。中国好きの小生からすると残念ながら、本当に残念ながら、われわれも侵略に対して戦う覚悟を決めておかなければなりません。
 一昨日の日曜日夜、横浜球場で横浜―楽天戦を観戦しました。楽天の新人釜田が好投しましたが、リリーフ陣が打たれ、逆転負けです。