つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

再び維新八策について

 現行憲法を改正するには国会議員の3分の2以上の賛成と国民投票の半数以上の支持という条件があります。現行憲法成立後、すでに64年以上もたっているのに、いまだに一度の改正もなかったというのは、事実上、このハードルの高さに原因がありました。しかし、よくよく考えると、共産、社民の議員を除くほとんどの議員は憲法改正に賛成だろうし、この3分の2という数字は到底達成できない数字というものではないでしょう。となれば、自民党総裁選に臨んで安倍元首相が「やり残した」政治課題と言っている憲法改正は、十分実現可能だと思います。大阪維新の会が次回総選挙で大量得票すれば、さらに改正への気運は高まることは間違いありません。
 大阪維新の会が維新八策の中で、「憲法9条改正の是非を問う国民投票の実施」を掲げています。憲法改正への強い意欲は感じますが、残念ながらこの表現だけでは意味がよく分かりません。国会議員の議決を経てから国民投票をするということなのか、あるいは国会議員の議決なしに先に国民投票をするということなのか。前者であれば、これは現行憲法の改正手続きに則ったことで、別段策に掲げるほどのものではありません。後者であれば、国民投票の位置づけが明確でありませんし、制度上何の規定もないでしょう。もし国会の議決なしに憲法改正に関して国民投票をするとなれば、あらゆる政策で「国民投票を」という論議が出てくる可能性があり、これは議会制民主主義を崩壊させる恐れがありましょう。
 八策で「主権と領土を自力で守る防衛力の整備」を掲げているのも結構なことですが、この表現だけではあいまいすぎます。小生も、自力防衛力保持には賛成ですが、もし米国に頼らない防衛力となれば、当然核戦力、核抑止力の問題にも踏み込まなければなりません。外国への射程を持つ長距離弾道弾の保持も視野に入れなくてはなりません。維新の会は、国の根幹たる安全保障について、どこまで仔細な論議を進めているのか。少なくとも、国政に出る以上は、安全保障問題でも明確な方向づけが必要となりましょう。
 八策の中で、「個人年金は積み立て方式」「生活保護認定は国の責任で」などと厳格化を主張していますが、この方向を見る限り、維新の会はスモールガバメントを目指していることがはっきり見えてきました。小生もスモールガバメント主義者なので、大いに賛成です。年金の賦課方式はすでに限界があり、これは世代間の数の不平等があれば成りたたないシステムです。個人の老後は自身が責任を持つという観点からぜひ積み立て方式にしてほしいと思います。そうでないと、今の若い世代はかわいそうです。
 生活保護の認定ではでたらめが多いし、国民年金の受給額より多い額を見るにつけ、不平等感を感じざるを得ません。加えて、生活保護認定者には医療費がかからないなどというのは言語道断です。無料であるがゆえに多くの薬が無駄に捨てられている現実があり、結果として開業医とその周辺の薬局を喜ばすだけとなっています。橋下市長が言うように、最低生活の保持という観点で言うなら、現金でなく現物支給でいいのではないでしょうか。現物支給となれば、生活保護の支給金がパチンコ屋に流れることもないし、酒代に消えることもないでしょう。
 下の写真は、中国安徽省黄山の麓の町、屯渓市で見かけた子犬。老街のお茶屋さんの店先に寝ていました。