つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

毛沢東と角田被告の共通性

 何人かの人物を思いのままにし、人殺しも重ねていたという尼崎の角田美代子なる人物に非常に興味が湧いてきました。連合赤軍永田洋子も一緒ですが、彼女らはアメとムチを使うという点では歴史上の独裁者と何か通じるものがあります。彼女らがもし混乱の時代に生まれ、政治家になっていたとしたらヒットラースターリン毛沢東と同じレベルに達していたかも知れません。その意味では、尼崎のマンションの一室でしか、その異能を発揮できなかった角田女史に同情します。
 中国を学んだ者として毛沢東の生い立ちには大変興味があります。それなりに本を読んできたし、彼の歴史を追うために、毛の故郷・韶山、共産党が最初に籠った井岡山、政権を打ち立てた瑞金、そして長征で通った遵義、茅台、赤水、瀘定、毛児蓋、延安などの町も訪ねてみたことがあります。そして分かったことは、彼が生まれたころは比較的裕福な農家だったが、父親の代までは貧しい小作農であったこと。それなりに学問好きで頭は良かったのですが、政治運動に明け暮れてきちんと学校を卒業したわけではないので、いわゆる折り紙つきのインテリゲンティアには激しい劣等感を持っていたこと。そうしたことが彼のアンビバレンツ的性格を形成していったように思います。
 アンビバレントな性格で特長的なことは、相手をほめるときとけなす時が定期的にあって、しかもそれが両極端になること。けなす時には、場合によって簡単に人殺しもしてしまいます。彼は井岡山に山岳アジトをつくるため、地元を支配する土着ボスに媚を売って仲良くなりますが、やがて目障りになって殺してしまいます。目障りな人間を批判し、抹殺するその性向は、遵義会議でも、毛児蓋の会議でも、延安でもずっと続きます。
 恐怖と解放の環境が続くと、周囲の人間はどうなるか、彼に従えば得をするという安堵感と、敵対すれば抹殺されるという恐怖感の二つの複雑な感情を内在させます。新中国創設後に完全独裁者となった彼は、三反五反、粛清運動、反右派闘争、文革ともうやり放題。恐怖感から周囲の人間は真っ先に毛に情報をもたらし、毛が情報を一手に握る。また、批判者、反対者も毛がすでにこちらのマイナス情報を掌握しているのではないかという疑心暗鬼に陥り、手出しできなくなっていまう。こうして毛のカリスマ性を高めていったのです。
 独裁者の権力が固まれば、人間は恐怖心から解放されたいから、なんとしても独裁者に媚を売ろうとするだけです。今回の角田被告も最初は「どや、ケーキ好きか」「寿司食べに来いへんか」などと甘い言葉をかけて身近に来させ、その後に恐怖と解放の定期的な襲撃をかけます。そこで、人間はなかば被洗脳状態となり、言うなりになっていったのでしょう。結局、彼女の周囲で殺された人は洗脳を受け切れなかった人であり、角田被告に加担し、犯罪に手を染めた人は徹底的に洗脳された人たちだったのだと思います。
 それにしても、角田マンションで数十人も殺していたというのは、驚くばかりです。と書いてみて、またまた独裁者との関連で考えました。昔から、「1人殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ」という言葉がありますが、角田被告も数十人殺していたとすれば、まさに独裁者の性向そのものと言えましょう。殺人に対して罪悪感がない、むしろ殺人によってカリスマ性が高まるという意識なんだと思います。少なくとも、小生の周辺にこんな人間がいなくてよかったです。
 下の写真は、夏の中国旅行で訪れた広東省スワトーの文革博物館前での一枚。小生の後ろに見えるのが中国で唯一といわれる「博物館」ですが、陳列物は何もなく、期待外れでした。文革の発動もいまだに毛沢東主犯説でなく、4人組主犯説でした。