つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

オスプレイ事故がなぜ基地なくせになるのか

 沖縄で米軍ヘリのオスプレイが墜落したニュースがありました。これに対し、例の沖縄の左派的一定県民やそれを後押しするような国内勢力が鬼の首でも取ったように「オスプレイ導入反対」「沖縄から基地をなくせ」などの声を上げています。小生も日本や東アジアの安全保障のために沖縄に特別多大な負担が掛けられていることは認めますが、沖縄の基地の存在は欠かせないと考えています。一つの事故がなぜ基地反対などという短絡的な意思表示になるのかは理解できません。
 例えば、警察のパトカーが事故を起こしたり、特定の警察官が何か刑法に触れたりすることがあったりしても、「警察けしからん。警察をつぶせ」ということにはならないですよね。これは、警察機構が日本国内の治安維持のために重要だからとすべての人が認識しているからです。同じように沖縄の基地を含めて在日米軍の存在、日本の自衛隊の軍事力は日本の安全にとって重要なのです。
 それなのに、オスプレイの事故や米兵、基地労働者が犯罪を犯すとすぐに基地の存在まで否定するのはどうしてなんだろう。沖縄現地のメディアがどう言うかは勝手ですが、日本国全体の安全保障を考えるべき政党や中央メディアまでその尻馬に乗ることは止めてほしいのです。安全保障は国挙げての共通認識であるべきです。
 ユダヤ人の安全保障観を著した本をイザヤ・ベンダサンというペンネームで書いた故山本七平氏は「日本人は水と安全はただだと思っている」と嘆いていましたが、情けないことに日本人の多くが今でも安全保障など要らないと思っています。再三書いているように、安全保障を怠った国がどんなに目に遭っているか、最近ではフィリピン実効支配の島嶼が中国に奪われた例を見るまでもなく常識だと思いますが、、。
 鳥越何某という無内容ジャーナリストはそんな過去の国際政治の例など意に介すことなく、「日本にどこの国が攻めてくるのか」などというノー天気な発言をテレビ番組で堂々としています。彼は世界各地で戦争を取材したと自慢しています。その悲惨さを伝えるのはヒューマニズムの観点から結構なことですが、戦争の原因にまで触れなくてはならないでしょう。なぜ戦争が起こるのかをきちんと取材すれば、国の安全保障の重要性は理解できるはずです。
 「戦争は止めろ」と叫んだところで、侵略者はやってきます。こちらは平和を愛する人間だし、武器を持っていないのだから攻めないでほしいと言っても、ならず者はやってきます。それをどう防ぐか、国家単位で考えていかなければならないのです。だから、オスプレイの事故一つで「基地をなくせ、安全保障は止めろ」と言うのは止めてほしい。そんなことを言うと、侵略者の回し者、内通者と見られかねません。

 上の写真は、スリランカコロンボの高級ホテルで見かけた金持ちお嬢さんたち。パーティーに出席するため盛装しています。