つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

年賀状は風物詩だから止められない!?

 あれよあれよという感じで、12月ももう明日で中日の15日。今年の残りも半月になってしまいました。時節の流れに関してはこのブログで毎回同じことを書くけど、やはり光陰矢のごとしですね。夏休み旅行といった感じで9月に10日間ほどトルコに旅行し、帰ってきたらメール、資料の整理などやるべきことが山ほどたまっていて忙殺される。10月にそれをこなすと、もう11月です。
 この月も奄美大島旅行、裏磐梯会津若松旅行と続いて、勤労感謝の日辺りに香港へ4泊5日。香港旅行の間に大学を休講にしているので、その補講が義務付けられており、土曜日も出勤です。加えて、毎月毎月ルーティンの原稿書きがあり、これはこれで小銭稼ぎのために必要なので頑張らざるを得ないのです。
 そんなこんなで12月を迎えると、今度は忘年会のオンパレード。特に1日から10日の前半に集中しており、中には勉強会恒例の1泊熱海旅行もありました。それをこなしていると、早12月も中日という次第です。まだ、年賀状も買っていないし、ネットで文面の作成もしていない。結局、年賀状作りはクリスマス以降になってしまうのでしょうか。
 その年賀状ですが、今日大学に出た折、教員控室で同じ中国語を教える若手の非常勤講師の人たちに聞いてみたところ、「年賀状はもうやっていない。メールで済ませる。来た人だけは仕方なしに返事を書くけど」とのことでした。確かに、小生など毎年文面が同じなので、貰った人は「また同じことが書いてやがる」と代り映えしない感じを持つと思います。
 ある友人は「年賀欠礼の挨拶状が来たら、それは不幸を理由にしてもう年賀状のやり取りは止めましょうという意思表示だから、次の年から出さなくてもいいのでは。向こうもそれを期待しているよ」と言います。これって本当でしょうか。小生は、年賀欠礼者にその年だけは出しませんが、翌年には律儀にもちゃんと復活させ、書いています。面倒と言えば面倒な話ですが、、。本当も向こうは止めたがっているのかも知れません。
 今、本当に連絡したければ、メールがあるし、ウィーチャットも、スカイプもある。なんで郵便物なのかと不思議がるのは小生独りじゃないと思います。でも、正月に年賀状が来るのはある意味楽しみだし、元旦昼に雑煮やおせちを食べるのと同じように風物詩にもなっている。来る以上は止められないし、小生自身、無意識に心の底で、まあ高い費用でもないし、止めなくてもいいかと思っているのかも知れません。

 上の写真は、市川の大学に行く途中の整体院前に鎮座する石造の犬。今年もサンタクルース衣装を着ています。