つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

先住民重視は贖罪意識

 これも開幕式余談ですが、西洋人が主催するオリンピック開幕式になぜか原住民を登場させるケースが多いようです。今回のバンクーバー冬季大会にも、インディアンの鳥の羽根のキャップを付けた先住民が貴賓席に坐っていましたが、どうやら大会執行部は、4つの先住民代表を各国首脳と同じ扱いにしたというのです。開幕式のパフォーマンスでも最初に登場したシーンは、北限の地に現れた先住民たちの姿で、彼らが肩寄せ合って生きる姿をことさら強調していました。
 確か、オーストラリアのシドニーオリンピック大会でも先住民アボリジニが主役になり、聖火の点火もアボリジニ出身の400メートル走女性選手でアトランタ五輪の銀メダリスト、キャシー・フリーマンにやらせていました。たしか、そのアトランタ大会では、すでにパンチドランカー―状態となっている元ボクシングヘビー級チャンピォンのモハマド・アリ氏を登場させていました。アリ氏は先住民ではないけど、米国に連れてこられた奴隷の子孫ですね。
 どうも西洋人というのは、こうしたビッグイベントにはかつて自分たちの先祖が虐げた人々を登場させ、今は幸せにやっていますと思わせるような演出が好きなようです。これは多分に贖罪意識があるせいでしょうが、それしてもやりすぎの感があり、少し白けます。西洋人一流の偽善パフォーマンスでしょう。
 では、現実に今、カナダやアメリカインディアンが正当な地位を確保しているか、あるいはオーストラリアのアボリジニはすでに偏見を持たれず、しかも生活でも、仕事でも平等な地位を得ているのか。多分、そんなことはないと思います。依然、目に見えない差別があるでしょう。そうであるからこそ、なおのこと、先住民、原住民を殺して領土を奪い、その後にアフリカから奴隷をつれてきて過酷な労働を強いた西洋人の子孫たちが、ことさら彼ら重視の姿勢を見せるのです。
 下の写真は、柴又にある「寅さん記念館」の中の風景。古い街並を再現したものですが、小生の子どものころにはまだこんな風景がありました。