つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

不可解感ある日馬富士の殴打事件

 大相撲11場所がすでに日曜日から開催されていますが、忙しくでテレビ観戦するヒマがありません。そんな中、この世界を震撼させるような不祥事が起きてしまいました。モンゴル人力士だけの会合で、日馬富士貴ノ岩を殴打し、力士生命を奪うような損傷を与えてしまったとか。傷害罪の刑事事件にもなっており、日馬富士は容疑者になるわけですから、今後横綱の地位にとどまることは難しいでしょう。
 この事件を見て、まず驚かされたのは、”犯行”に及んだのが、日ごろ温厚そうな日馬富士であったこと。モンゴル人力士の先輩として後輩に注意喚起していたときに、貴ノ岩がふとどきな態度を示したので、ぶち切れたようです。酒の席であれば、感情が高ぶり、手が出ることはよくあることです。ただ、相手に力士生命にかかわるところまで殴りつけたのは感心しません。
 同じ部屋同士なら、人間教育を込めて体罰もまだ分かりますが、日馬富士は伊勢ケ浜部屋、貴ノ岩貴乃花部屋とは違います。ある意味”他人”の行儀に構わなくても良かったと思います。それでも日馬富士があえて文句を言ったのは、異境で苦労する同じモンゴル人同士という点もありましょうが、やはり以前から貴ノ岩という人間を問題視し、不快感を持っていたからに相違ありません。日馬富士にしてみれば、教育半分、不快感半分による手出しだったかと思います。
 次に驚くのは、貴乃花親方が相撲協会に相談なく、鳥取県警に被害届を出した点。貴ノ岩という米ビツを失う恨みがあったのかも知れませんが、それにしても最初に相撲協会に相談し、善後策を講じても良かったと思います。今、4横綱時代を迎え、相撲人気が高まっています。いきなり、その一翼に傷をつけるような仕儀は感心しません。何か協会に恨みがあるとか、別の意図があってのことか。不可解な感じは否めません。
 今回の日馬富士事件を見るにつけ、小生はやはり大相撲に外国人力士を入れたことはまずかったとの印象を持っています。相撲が神事の一部であると考えるなら、異国の人間は完全に神事を理解できませんので、彼らが加わる事は感心しません。完全に自由化するなら、アフリカの黒人でも、北欧の金髪のバイキング様の人間が来ても受け入れなくてはならないですが、果たして日本のファンは黒人が横綱を付けて土俵入りすることを望むのか。金髪の大銀杏を見たいのか。
 かつて、ハワイ出身の小錦は、能力、実績的に十分横綱になる資格があったと思います。ですが、あの異常なデブな身体と曙よりもサモア的容姿をしていたことが、昇格の陰の障害になっていたことは事実です。土俵入りは力士の美しさを感じさせる最大の儀式ですから、あの異常なデブの土俵入りは美しくないし、正直、見たくはない。今振り返れば、曙の縮れ毛も見苦しかった。神事、美学という観点に立てば、もうそろそろ外国人力士をシャットアウトしてもいいのではないでしょうか。
 モンゴル人と言えば、朝青龍も一般人を殴りつけたことで、強制引退させられました。日馬富士も恐らく同様の道をたどる可能性が大です。モンゴル人の中では小兵であり、比較的小生の好きな関取であっただけに、見られなくなるのは残念です。

 上の写真は、市川駅近くにある揚州ラーメン店。小生はいつも刀削面をスワンラーのスープで食べています。