つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

モンゴル人力士の優勝はもう見たくない

 小生は人後に落ちない大相撲ファンですが、場所の後半になると徐々に視聴の意欲がなくなってきます。それは、端的に言うと、モンゴル人力士ばかりが活躍し、優勝も彼らばかりであるからです。夏場所照ノ富士、先場所は逸ノ城、今場所はどうも玉鷲が2回目の優勝をしそう。「海外からきて一生懸命やっているのだから応援してあげてもいいのでは」という人もいますが、小生はそうは思わない。モンゴル人力士の活躍、いや海外から来る力士が多いと、長期的に見た場合、必ずしも大相撲の隆盛には結びつかないと信じて疑わないからです。

 大相撲の力士というのは郷土の誉れであり、郷土の応援と一体となったものです。地方出身の力士が優勝間近となれば、その土地の人々が集まり、パブリックビューイングで応援するし、巡業でもその土地出身の力士が人気者になります。それで一層相撲人気が高まります。という観点に立つと、モンゴルのゴビアルタイとかアルハンガイ県出身と言われても、そこで人が集まって応援する光景はないでしょう。結果として、力士と郷土の関係を疎遠にし、盛り上がりに欠けていきます。外国人力士の優勝がたまにならまだいいのでしょうが、毎度毎度モンゴル人ではまったくつまらない。

 もともとモンゴル人は草原の中で育ってきた人たちであるから、骨格、体格がしっかりしているので、昨今のひ弱な日本人より基礎体力があることは否めません。それに、遠隔の地からわざわざ大きな収入、豊かな生活を求めてやって来るのですから、ハングリー精神旺盛でしょう。であるので、彼らが日本人に負けるわけがないし、負ける気もしないでしょう。その結果、次々にモンゴル人関取に席巻されてしまいます。

 白鵬が45回の優勝、朝青龍が25回、そのほか日馬富士9回、鶴竜が6回、照ノ富士が7回と1990年代末以降モンゴル人横綱が大手を振っています。さらに旭天鵬玉鷲逸ノ城も優勝しており、ほとんど日本人の出る幕がないのは実に悲しい。この先も、逸ノ城のほか、朝青龍の甥の豊昇龍、霧馬山、千代翔馬、さらに今十両の巨人、北青鵬、欧勝馬金峰山も来年辺りには次々に幕内上位に上がってくるでしょう。金峰山カザフスタン出身としていますが、恐らくモンゴル系に違いありません。

 来年夏には大関、三役、前頭上位の半分以上は彼らが陣取りそうです。相撲協会はそれでもいいと思っているでしょうか。各相撲部屋はひ弱な日本人をスカウトするより、確実に出世し、部屋の米びつになりそうなモンゴルなど外国人を弟子にしたがります。各部屋は自らが潤うからそれでいいと判断しているのでしょうが、相撲界全体のことを考えた場合、外国人頼りは大いに疑問だと小生は思います。

 照ノ富士逸ノ城といった化け物風の大きさで、外四つでもいい、かんぬきに決めればという荒っぽい相撲を取る力士を好きになれないのですが、実を言うと小生、豊昇龍、霧馬山、千代翔馬という日本人と体型が似た力士の取り口は嫌いではないのです。彼らが日本のどこかの出身であったらなーとしみじみ思います。でも、郷土の応援と結びつかないのはやはり問題。各部屋がハワイからのサモア人入門をシャットアウトしたようにもういい加減、外国人力士のスカウトは止めた方がいい。

 あるいは、「バカ言うな、大相撲は国際化して始めて真価が問われる」などという”正論”を吐く人がいるかも知れません。でもそれを言うなら、真の国際化に合わせて、アフリカ、中東の力自慢も入れたらいい。北欧のバイキング子孫も入れたらいい。肌の色の黒い人を入れないで何が国際化かと小生は思います。大相撲が土俵の神事、力士のまげ、着物姿などにこだわるのであれば、やはり力士は日本人に限るべきだと思うのです。

 先週末、小中学校時代のクラスメートとともに、伊豆・下田、箱根・二の平へとはしごの温泉旅行。そのついでに箱根仙石原のすすき野を見てきましたが、すすきの穂はまだ開いていませんでした。