つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大相撲、そろそろ外国人力士を規制するころでは

 小生は人後に落ちない大相撲ファンですが、この秋場所、幕内の後半戦になると、もう宇良の取組以外、テレビ観戦する気力がなくなります。というのは、幕内上位はモンゴル人関取が多く、しかも、そのトップにいる横綱照ノ富士は大柄な体型を生かして大味な相撲ばかり。しかも、大相撲の力士は出身地、郷里の人たちの応援を受け、その地元人同士の応援合戦がまた醍醐味であるのに、モンゴル人関取ばかりではこれが叶わないのですから。

 きょういみじくも小生がファンである北の富士さんが解説者、藤井康生氏がアナウンサーのコンビで放送していました。この中の特集で、1970年前後に北の富士さんのライバルであり、現役のとき盲腸炎で死去した玉の海関を取り上げていました。ライバル関係にあった2人の元横綱の一方は半世紀前に死去したのに、もう一方は今でも元気溌剌で解説をしているという妙に驚かされます。それはともかく、玉の海没後50年という区切りであったので、改めて北玉時代を振り返り、今の相撲との違いを話していました。

 その中で強調されていたのは、今の力士は平均的に体重が重くなっているということ。北の富士横綱時代の体重は137キロだそうで、この体重は、今、軽量力士だと言われている翔猿よりまだ少ないのです。また、北玉の前(柏鵬時代)の前の栃若時代の栃錦若乃花の体重は100キロそこそこだったというのです。柔道の階級別でも分かる通り、格闘技は体重が重い方が絶対有利。だから、あの軽量でアクロバット相撲が持ち味だった宇良ですら、体重増加の誘惑から抜け出せなかったのです。

 そういうことで、かつては曙、小錦武蔵丸のハワイ勢、次に琴欧州臥牙丸把瑠都栃ノ心、碧山らの欧州、西アジア勢。今はモンゴルから来た照ノ富士逸ノ城などの大型力士が闊歩しているのですが、小生に言わせれば、忌々しき事態です。ブラジルからの魁聖を含めて、海外から来る力士は得てして大型が多い。これでは、もともと体力的に劣る日本人が太刀打ちできるわけがないのです。

 力士の体重が重いことは確実に相撲内容をつまらなくさせています。重量級になると、概してバランスを崩し安く、はたき込みやいなしによる送り出し、肩透かしなどの決まり技が多くなってしまいます。また、照ノ富士のように2メートル近い力士は、まったく前裁きにこだわらない大味の相撲を取ります。相手がもろ差しにきたら、透かさずかんぬきに決めてそのまま土俵外に持っていくのですから、四つの差し手争いの面白さはなく、体力だけの勝負になってしまいます。

 前にも書きましたが、大相撲は体重制限を設けるべきです。いや、はたき込みなどの決まり手をなくすためには身長の制限も必要かも知れません。今日の特集で北玉が組み合う相撲を見ましたが、やはり迫力があります。いや、ユーチューブなどでたまに見ますが、初代貴乃花や若島津、二代目増位山、千代の富士の相撲も、ちょっといなしただけでバタと手をつくような取り組みはありません。これらに比べて正直、照ノ富士の相撲は味わい深くない、面白くない。

 それから、モンゴル人力士が多く大相撲に来れば、長い目で見ると、必ず相撲人気を退化させるとも危惧します。というのは、前にも書きましたが、力士は出身地の応援を受けて人気を得るのですから、郷土とつながりは欠かせません。地元ファンは本場所にも応援に来るであろうし、地方地方に巡業に行けば、必ずその土地出身の関取を目当てに応援する人が集まってきます。それで、本場所本場所の間の巡業も成り立つのです。

 でも、残念ながら「モンゴルのアルハンガイ県」「ゴビアルタイ出身」では、その草原の町まで巡業は行かないし、国技館まで足を運んでくれる人もいないでしょう。地元の応援から相撲人気を呼ぶことはできません。鳥取城北や高知明徳学園に高校留学したからといっても、その土地の人がモンゴル人の若者とつながりができ、親しみを感じ、応援するとは思えません。埼玉栄高校出身力士すべてに埼玉県人が愛着を持たないのと一緒です。他県出身者が多いですから。

 正直なところ、大関貴景勝、正代、さらには御嶽海、高安らも上の番付への期待は持てず、上に上がりそうなのは豊昇龍、霧馬山、逸ノ城、北青鵬などのモンゴル勢ばかり。横綱白鵬照ノ富士の下に大関豊昇龍、霧馬山、関脇逸ノ城、北青鵬、小結玉鷲といった番付を想像してみてください、日本人は心から喜べるでしょうか。国際主義の立場に立たなくてはと思いながらも、愛国心、郷土意識へのこだわりは捨てられません。そういう視点に立つと、大相撲はもうそろそろ外国人力士の規制にかかるべき時ではないと愚推します。

 それでも、大相撲には断固国際主義は必要だと主張する人はいると思います。でも、黒人がいないところを見ると、本当の国際主義ではなく、中途半端な国際主義なんですね。モンゴル人を入れるなら、本来、プロレスのアブドーラ・ザ・ブッチャーのような黒人、北欧のバイキングのような金髪の巨人も入れるべきなんです。

 上の写真は、3週間ほど前の横浜・野毛の飲み屋街。非常事態宣言発令下で人通りがなく、さびれていました。今は少し戻った感じがします。

日暮高則のチャイナ・スクランブル (kazankai.org)