つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

熱海富士が優勝していたら、すごい経済効果に

 物事に「たら」「れば」を言っても始まりませんが、大相撲九州場所がもし熱海富士の優勝で幕を閉じていたら、場所の余韻はあとあとまで残り、相撲熱は一段と高まったでしょう。小生は再三ここで述べているように霧島、豊昇龍のような均整の取れた体形の関取、ソップ型の相撲取りは嫌いではありません。碧山のようなでぶでおっぱいが垂れ下がった関取を見るとがっくりしますが、2大関は、体系も取り口もいい。でも、問題は彼らの出身地。モンゴル人が優勝して日本のどの地方が盛り上がるというのでしょうか。

 霧島は元霧馬山。大関になったのを機会に元大関だった師匠のしこ名を継いだのです。霧島という名で「鹿児島出身」のように見せたのでしょうが、そうは問屋が卸さない。そこにはガキのころから付き合った人はいないし、親の関係の親戚、知り合いもいないので、盛り上がりには欠けるでしょう。で、彼の出身地はモンゴルの首都ウランバートルでなく、そこから600キロ離れたロシア国境のドルノド県とのこと。現地の盛り上がりはあるのか。あったとしてもこちらには伝わってきません。

 もし、優勝を争った熱海富士が優勝していたら、その名の元になった温泉地では大賑わいしていたことでしょう。恐らくパブリックビューイングには現地の温泉客も含めて大勢集まり、手を取り、喜びを分かち合ったでしょう。阪神の優勝とまでは行きませんが、相当な経済効果を生んだはずです。彼自身が屈託のない愛嬌のある顔で、見ていて楽しい。つまり、大谷翔平と同じように注目されてもいい存在です。彼の優勝だったら、テレビ各局も千秋楽の2,3日あとまで彼の様子を伝え続けていたかも知れません。

 今回、霧島の優勝でモンゴル人関取の優勝回数は100回目になったそうです。なにせ、白鵬だけで45回も優勝しているのですから、そのくらいになりましょう。1年6場所で単純に16年間以上もこのアジア草原国の出身者に優勝をさらわれている計算になります。まあ、ハングリー精神旺盛で海外に出た人たちですから、一生懸命にやるのは当たり前。逆に昨今、大学出身者が多くなり、飽食状態でハングリー精神などあまり見られない日本人力士が勝てるわけがないのは当然かも。それにしても悲しい現実です。

 今場所、大関豊昇龍が平幕相手になかなか立ち上がらないことが問題になりました。これを見るまでもなく、海外から来た力士は相撲を単純にスポーツとして認識、勝つためにはいかなる”手”も使うというスタンスでいます。かつて白鵬が肘にサポーターをしていた右手で立ち合いにかち上げに出て非難されたこともありました。サポーターをしている腕で相手の顔や首にぶつけるというのは卑怯ではないのかと。本来、サポーターは自分の弱い部分を補うもので、それを”武器”に使っていいのかと。

 という意味で、小生は大相撲の国際化というのは基本的に反対です。日本の各地方から選ばれた力士が郷土の声援を受け、その郷土と一体となって盛り上げるというのが本来あるべき姿です。ですから、隠岐の海とか、志摩の海とか、平戸海とか、大奄美とか出身地をしこ名にした関取は大好きです。逆に遠藤とか、高橋とか、そこらへんにある苗字をそのまましこ名にしているのは感心しません。

 もう一度、しみじみ思う。熱海富士に優勝してほしかった。彼が優勝していたら、恐らく日本中の人が改めて「熱海」という温泉地を認識し、押し掛けることになりましょう。小生も熱海の熱いお風呂に入りたくなります。これで、経済効果はいかほどになるのか、どなたか興味ある方に計算願いたいです。

 上の写真は、横浜・野毛の飲み屋街で見かけたピエロ姿のおっさん。いい味出しています。