つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

餌横取りの奈良の鹿にはうんざりだ

 先週末から2泊3日で京都、奈良に出かけてきました。京都では新選組関係の時代小説の取材、奈良では正倉院展を見てきました。紅葉時期の京都は一年の中でももっとも来客があるようで、土曜日の午後、京都駅新幹線口から中央コンコースに出ると、もうそこはもう人であふれかえっていました。中国人はもとより西洋人もかなりの数だったので、京都はすでに世界的な観光地になったという印象を強く受けました。
 忠臣蔵赤穂浪士と幕末の新選組は時代小説の中でも双璧で読者を引き付ける題材。先般、赤穂浪士関連の小説を書いたので、今度は新選組関連を書こうと思っています。それも戦乱の幕末を生き延び、明治、大正時代までその命を長らえた新選組二番隊長の永倉新八に興味を持っているので、彼を主人公にしようと思っています。
 そこで、新選組が壬生から移した屯所「西本願寺」、三番目の屯所「不動堂村」の辺りを見てきました。さらに、不動堂村近くの醒ヶ井には近藤勇の妾宅があり、御陵衛士伊東甲子太郎がそこに招かれ、酔って戻る途中、新選組に惨殺されています。それを契機に御陵衛士新選組が大乱闘した有名な場、七条油小路にも行き、周辺の様子を見分してきました。油小路の道幅の狭さにはちょっと驚きましたが、江戸時代はそんなもんだったのでしょう。
 今回さらに、花街跡地の島原にも行き、料亭角屋に上がり、説明も受けてきました。角屋は伊東甲子太郎永倉新八が隊規を破って、2−3日居続けた場所。前回京都訪問時も島原へ行きましたが、その時は遅い時間でしたので、街を回っただけで十分な取材ができなかったのです。ずっと以前には三条小橋の池田屋跡や壬生の八木邸、壬生寺、二条城も見ています。まあ一応、新選組縁の有名な場所は走破した感じですが、本当は長くいてもっともっと調べるところがあるのかも知れません。
 奈良は、実を言いますと、訪れたのは、高校の修学旅行以来50年ぶり。小生、奈良時代の出来事やその時代の仏像、仏閣にはそれほど興味がないので、それまで京都ほど食指が湧かなかったのです。ですが、たまたま友人が正倉院展の切符を買っていて一緒に行きましょうと言うので、付き合いました。奈良国立博物館の展覧会見学のあと、ついでに東大寺も訪れ、大仏を見てきました。鎌倉・長谷の大仏もそうですが、結構外国人は大仏が好きなんですね、大勢の中国人、西洋人を見ました。日本人と言えば修学旅行生ばかり。
 奈良公園では鹿の餌となるせんべいを買い、鹿と記念写真を取ろうと思いました。そこで、食べさせようとしたところ、オス鹿は結構粗暴で、戯れるどころではない。2匹がかりで小生を取り巻き、餌をもぎ取ろうとするのです。近くに小柄のメス鹿がいたので、それにもやろうとと手を差し出したところ横取り。ある一匹など小生の着ていたヤッケを口で加えて「こちらにくれ」と言わんばかりに引っ張るのです。これにはあきれ返り、殴りつけたくなりました。
 忠臣蔵にも、大石内蔵助の山科時代が出てくるように、時代小説には京都の存在が欠かせません。これからもしばしば足を運び、取材しようと思っています。でも、鹿がうるさい奈良はしばらくはご免被りたい感じです。

 上の写真は、奈良公園で2匹の鹿にせんべいの餌をやっているところ。