つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

米は朝鮮半島をそう見ていたのか…目から鱗

 右目に続き左目の白内障手術のため、3泊4日で再入院し、きょう朝退院しました。両目の視力がかなり回復し、裸眼で生活できる嬉しさを堪能しています。それはともかく、この日午後、”病身”を気遣いつつ東京に出て、小生も幹事団の一人になっているマスコミ関係勉強会の講演会に参加しました。講師は元政府の役人で、テーマは「北朝鮮の行く末について」。面白い話や、目から鱗の見方がいっぱい聞けましたので、少し紹介します。

 一番の驚きは、トランプ大統領はすでに韓国の文在寅大統領には何の期待もしていないということ。それは、文は、日米韓の自由陣営の結束などみじんも考えておらず、頭の中は南北一体化、統一達成しかないから。であれば、朝鮮半島の統一は可能でしょう。が、それは韓国主導で行われるのでなく、核と長距離ミサイルを持つ、つまりより大きな軍事的な力を持つ北朝鮮主導で行われるであろうし、それを黙認するというのが米サイドの見方と新しい戦略方針。朝鮮半島問題では金正恩接触し、彼の動きだけを見ておけばいい、文在寅の出方などほぼ無関心というのトランプのスタンスだと言うのです。

 講師が米サイドから得た話によれば、トランプが金正恩に再三秋波を送るのは、北朝鮮朝鮮半島統一を主導してもいいが、その代わりに、一定の制約を与えたい、一点だけ約束を守ってほしいことがあるためとのこと。それは、統一後の朝鮮は決して中国寄りになってはならない-という一点。米朝首脳のこれまでのサシの会談で、トランプが一番強調していたことはこの点だというのです。今、米国の世界覇権に挑戦してきているのは中国であり、最大の敵。統一朝鮮国家がこの中国の被支配国にならない限り、米国の国益に反することはないという判断があるようです。

 米国が北朝鮮に期待しているのは「第二のベトナム」化だと言います。どういうことかと言うと、ベトナム戦争を戦っている時に北ベトナムは中ソの支援を受け、双方均等に友好関係を保っていたのですが、1975年に南ベトナム政権を倒して統一すると、今度は極端にソ連寄りになって、隣国中国と距離を置きました。これは中越の歴史が関係しています。このベトナムの様変わりに中国は激怒し、鄧小平の時代の1979年に、「懲罰」という名目でベトナムに侵攻しました。要は、地政学的に、大国中国の周辺にある国家は、祖国統一を果たすと反中国になるのです。

 トランプと米国の軍事当局者はこうした歴史を振り返って、朝鮮半島の統一が成れば、必ず反中国に動く、統一朝鮮は必ず中国と新たな領土回復問題(延辺朝鮮族自治州白頭山などか)などを提起し、敵対すると踏んでいるのだそうです。米国はそういう視点で朝鮮半島情勢を見ているのかと、小生は目から鱗でした。それでよく分かりました。トランプは自由と民主主義の守護者ではない、米国の国益に沿った形であれば、王族でも蛮族でも、たとえ残忍な独裁者であっても手を組む、自らに都合のいい国際的な権力配置だけを考えている人なんだと。

 という視点で眺めると、米国が文在寅を見限っているというのは自然の見方。場合によっては、「赤化統一」しやすいよう早期に在韓米軍を撤退させることも考えられます。韓国左翼政権はずっと在韓米軍の撤退を望んでいましたから、米側が提案すればスムーズに進むでしょう。米国は表面的には「遺憾の意」を示しながらも、内心では「北朝鮮に傾いた米国の思惑も知らず、ばかな政権よ」とつぶやき、ほくそ笑むでしょう。金正恩が再三、「もう米国と直接交渉できるので、韓国の仲介など要らない」と主張する言葉の裏側、真意を文在寅はまったく理解していないようです。

 国内経済政策の失敗に加えて、米軍のTHAADや中距離核ミサイル配置問題などで中国との関係を悪くし、さらに日本にも反日をけしかけてわざわざ関係を悪化させている。その上、米国からも北との直接交渉で見放されつつある。まあ、歴史的に見たら、文さんは経済も分からない、国際政治の変化も読めない、ただ国内政治、支持率確保だけ考えてエモーショナルに動く最低の大統領だったと烙印が押されることでしょう。

 米国に相手にされなくなった今の韓国政権など、日本もまた、まともに相手にする必要はないと思います。では、米国の朝鮮半島「赤化統一」容認で日本自身はどうあるべきかなど、ほかに書きたいこと数々あれど、長くなるといけませんから、今回はここまで。
 

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 上の写真は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑靖国神社大鳥居。今年は終戦記念日を避けて翌日の8月16日に参拝しました。いつもの15日の賑わいとうって変わって、戦没者墓苑、靖国とも静かなたたずまいでした。