つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「北の国から」で印象に残るシーンは

 香港に住んでいたころ、友人の銀行駐在員から「ビデオ屋から借りてきたテレビドラマだけど、『北の宿から』というが良かったよ」と言われ、「えっ」と思いました。何か都はるみのドラマが作られたのかなとも思いましたが、よくよく聞いてみると、「北海道を舞台にしている」というから、それは「北の国から」だと納得しました。彼は何年かごとに放映するスペシャル版から見ているようで、その昔に連続ドラマだったことは知らないようでした。「フーテンの寅さん」も最初はテレビの連続ドラマで、その後に映画になったのですが、それを彷彿とさせます。

 「北の国から」の主役だった黒板五郎役の田中邦衛がこのほど逝去しました。個人的にものすごく好きな俳優でしたので、残念です。ただ、享年88歳と知り、それなりの人生を生き切ったのかなとも思いました。「北の国から」が代表作ですが、東宝若大将シリーズで青大将役をやった時も、東映の「仁義なき戦い」の泥臭いやくざをやった時も、NHK大河ドラマで近藤周助役をやった時も良かった。あの朴訥としたしゃべり方、少しシャイな風貌は彼の地であるような感じがしますが、すごい個性を醸し出していました。一回見たら、忘れられない俳優です。

 邦衛さんは横浜市磯子区の住人のようで、それで同じく横浜に住む小生としてもさらに親しみを感じます。ある友人は「京浜東北線で邦衛氏を見た。ドア付近で立って外を眺めていた」と言うのです。なんかのインタビューで、邦衛さん自身電車が好きで、良く乗ると話していましたので、目撃されることは多いんでしょう。内人の友人によると、磯子駅付近を自転車走行していると、前に自転車を乗った老人がふらふらしており、そのうち横に倒れたとのこと。その友人が傍に駆け寄り「おじいちゃん、大丈夫」と言うと、その老人は振り返ったのですが、よく見ると田中邦衛だっというのです。88歳の米寿ですからもう立派な爺さん、そんなこともあるんでしょうね。

 「北の国から」は連ドラの時には、黒板五郎とその家族そのものより、富良野の住人の生きざまを描いていたように思います。だが、長時間のスペシャル版になると、完全に黒板家の家族中心の話、特に長男純の生い立ちのようなストーリーの展開になりました。それはそれで結構。純役の吉岡秀隆君は名子役であったけど、成人してもなかなかの役者ですから、主役になっても色褪せません。でも、吉岡君がすごいなと思うのは、「フーテンの寅さん」でも満男役をやっており、2つの長寿映画、ドラマに出続けていたんですね。

 田中邦衛逝去を機に「北の国から」での名場面は何かという企画がありました。で、多くが選んでいるのが、純が過失で自宅を燃やしてしまったことを告白するラーメン屋でのシーン。女性店員が強引に店を閉めようとどんぶりを片付けようとすると、五郎が「子供がまだ食っているじゃないか」と怒るところ。余談ですが、この女性店員をやっているのが伊佐山ひろ子で、この女優も小生は昔からファンでした。なんか蓮っ葉な感じで、独特の声の質を持っている。最初には日活ロマンポルノに出ていましたが、その後はふつうのドラマでも割と印象的なサブプレイヤーになりました。

 確かにこのシーンも記憶に残りますが、それと同じように残るのは、連ドラ時代、馬喰役で出ていた大友柳太朗が雪の中で死ぬシーン、富良野に来た母親令子(いしだあゆみ)が東京に帰る時にラベンダー畑の中を蛍が涙ながらに列車を追いかけるシーン、純と蛍が母親の再婚相手に簡単に捨てられてしまったボロボロの靴を捜しに行くシーン、初恋編で純とれいちゃんが小屋の中で暖を取るシーン、蛍とキタキツネの交流、純が女性を妊娠させた件で五郎と純が謝りに行くと、菅原文太が「誠意とは何かね」と叫ぶところ、五郎と宮沢リエが一緒に温泉に入るシーン。これも余談ですが、若い時の宮沢リエは実に綺麗でした。

 いやー、目をつぶれば、さだまさしのハミングとともに、一つひとつの映像が浮かび上がります。思い出を語れば切りがありませんが、実に素晴らしいドラマでした。小生の家には、「北の国から」の何回かの放映分がVHSのテープで残されています。でも、再生する機器がないのが残念です。

 上の写真は、横浜・みなとみらい地区にできたロープウエィ「エア・キャビン」。桜木町駅前から赤レンガ倉庫に行くだけで距離は短い。だから、乗る人はほとんどいないようです。つまらないものを造ったものだ。下の方は、横浜港の新埠頭「ハンマーヘッド」ビルの中にある飾り物。