つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

立民、共産提携は結局、負けパターンになるだけ

 まず、総選挙の結果について触れておきます。前回ブログで小生は自民240-245議席、立憲130-135議席、維新30くらいと予想しましたが、大きく違った結果になりました。狂った原因の一つは、自民が比例区で結構票を取り、それほど負けなかったこと。実を言うと、自民については250くらいではないかと思っていましたが、選挙前、多くのマスメディアは自民党のぼろ負け、立民党の大幅増を言っていましたので、それに引きずられた感もあります。でも260を超える数を獲得できるとは予想もつきませんでした。

 反対に、現有議席を10以上減らした立民は惨敗なんでしょうね。大方のメディアの”期待”?、予想を裏切りました。テレビの戦評会に出た立民の長妻や福山は、立民、共産提携は間違っていなかったなどと強弁していたけど、これは明らかに失敗だったと思います。確かに、立共提携で小選挙区は伯仲し、勝ち切ったところもあるけど、冷静に見ると、微妙な力関係が働いてやはり全般的には自公系候補者の方が強いのです。負けた自民議員は老練であまり地域活動をしていない人、多選で自信満々であまり選挙区に帰らない人、横柄そうな人というのが共通しています。石原伸晃野田毅甘利明らを見れば、一目瞭然。

 その傾向は、自民議員に限らず、立民系候補にも見られます。辻元清美小沢一郎が典型的な例。態度が偉そうであったり、俺はもう10数回も当選してきたのだ、負けるわけがないという過信があったりの人たちです。小沢は比例で救われましたが、小選挙区の敗戦で、彼がずっと持ち続けてきた政治パワーはかなり削がれたと思います。今回の小選挙区は立共提携で1対1の対決が多かったのですが、これは1990年代から2000年代にかけて見られた与野伯仲の対立に戻った感があり、改めて中選挙区から小選挙区に変わった意義があったように思います。

 でも、ひとつ明確に分かったのは、自公と立共の対決で、普通の候補者同士だったら、やはり自公の方が有利なのかなということ。これまでの国政選挙で政党別得票数を見ると、公明は全国で平均700万票を獲っており、これに対し共産は平均400万票です。この数字が自民、立民候補者が小選挙区でプラスされる分だが、この1対1・75の差が決定的な意味を持っているのではないか。つまり、立共提携を続けても、最後はこのプラス分の差で自公系が勝つと思います。

 テレビの戦評討論会に出た立民、共産議員は、小選挙区では立民候補者が健闘したとか、負けるにしても伯仲したとして立共提携を評価し、今度も続ける構えを見せています。これは彼らの勝手ですが、自民議員はそういう方向をむしろ喜ぶのではないか。前回も書きましたが、立民が共産に寄ることで本来立民に入れても良いと考えていた人の2,3割は他党候補に流れてしまいます。それに提携というか野合は、2回、3回と続けると新鮮味がなくなり、効果が出なくなります。立共提携は結局は負けパターンに陥るのです。

 共産党には古来、統一戦線方式という政治マヌーバーがあります。これは、少数の共産党が大きな反権力集団の中に入り込み、その中でヘゲモニーを確立し、少数で組織全体を乗っ取ってしまうという手法です。これは過去、ソ連でも中国でも見られました。恐らく、当選した立民議員は、あとあと恩着せがましく共産党から個別要求を突き付けられ、次第に共産党の言いなりにさせられてしまうでしょう。それでも議員の椅子欲しさに、共産党と提携を続けるのか。

 次に維新について触れます。今回、率直な感想として、維新は獲り過ぎなのではないかと思いました。維新は基本的に新自由主義の政党です。つまり公的な機関の規模や職員数を減らして、行政サービスを縮小して、彼らの言い方では「身を切って」政治を進めるというスモールガバメントが目標。小生はその本質を理解して支持しますが、今回維新候補者に投票した有権者はどれだけそれを理解しているのでしょうか。

 ただ、保守であっても、小選挙区の自民候補者は好かない、灸を据えたいと思う人もいたでしょう。そういう人は小選挙区では仕方なく反自公候補に入れながらも、比例では維新を入れていたと思います。維新が反自民の受け皿になっているのなら結構。松井代表は総選挙後すぐに、自民、国民民主を巻き込んで憲法改正に突き進もうと意気込んでいます。これは維新勝利の素晴らしい成果です。改憲はしない、安全保障は考えない、日米安保体制否定などという無茶な政党の議員が増えないだけでも今回の総選挙結果は良かった。日本の政治風土はまだまだ健全です。

 上の写真は、横浜馬車道にある有名な中華料理店「生香園」。うまいけど値段はそれなりに高い。

日共とつるんだ立憲当選者の大幅増はない

 昨日夜、BSフジテレビのプライムニュースを見ていたら、いわゆる評論家が総選挙の議席予想をしていました。2日後には投開票だというのに、今さら意味のないことやっているなー、外れたら大恥かくのに思って見ていたけど、これがメディアの宿命なんですね。関心のあることには何でも突っ込んで取材、分析、さらには予想もすることは避けられない。その点は小生も良く承知しています。で、予想を見ると、ジャーナリスト田崎史郎は自民235、立憲135、維新30、法政大教授の左翼山口二郎は自民230、立憲150、維新35と予想していました。

 公明はだいたい安定的に30議席程度獲れそうなので、要は衆院各委員会で自公の与党が過半数となる絶対安定多数のレベルは確保できそうだということです。つまり、政権交代どころか与野党伯仲もない。前回よりは自民党が数を減らすものの、保守系の維新が倍増、3倍増するので、憲法改正に賛成し、安全保障にシビアな保守系議席全体で見たら、これまでと変わらない構図となるということです。

 田崎と山口の予想で大きく違うのは立憲当選者の数。山口は150などとしているが、これは多分に希望的観測がありましょう。というのは、この男は、「市民連合」なるいかがわしい組織を仲介させて立憲と日共を結び付けた張本人であるからです。市民連合とは日共の別動隊に過ぎません。小生は立憲が150なんて絶対行かないと思います。日共と結びつけば、立憲に投票しようと思っていた人の2,3割は確実に逃げる。彼らは棄権するか、たとい投票所に行っても別の政党、その候補者に入れるでしょう。

 自民は嫌だ、だからと言って日共と結びついた立憲も嫌だという有権者は、別の投票先として維新を選択するのではないでしょうか。公明は自民と連立し事実上一緒だから、意味がないと切り捨てられる。維新は立憲と主張する政策、政治信条が全然違うけど、“落穂拾い”の存在意義があると思います。それで維新が大幅増になりそうだと評論家氏は予想するのです。つまり、自民に入れていた保守票が維新に移るだけで、日本人全体の政治動向に変化はないということです。ちなみに、ド素人の小生が大胆に予想すれば、自民240~245、立憲130~135、維新30くらいだと見ています。

 それにしても今回の総選挙、先般の自民党総裁選が注目され、政治への関心が高まった割には今一つ盛り上がりに欠けますね。それは、各党党首に魅力がないことが大きな原因ではないかと思います。どの党首の演説も聞きたくない。好人物という感じだけど毒にも薬にもならない、話も面白くもない岸田。耳の大きさだけが目立ち、上唇が動かないしゃべり方で説得力に欠ける枝野。毎度おなじみで印象的でない山口、志位も映像的には面白くない。で、テレビ局は党首クラスの番組が作りにくいんだと思います。

 本当は高市早苗”総理”の演説が聞きたかった。河野太郎麻生太郎副総裁の演説も面白そうだ。でも無理ですね。自民党副総裁になった麻生は、本音やはめを外す失言が多いので、視聴者は漫談師的な期待感を持つのでしょうが、テレビ局は警戒するでしょう。野党側では、演説をぜひ聞きたいという人は皆無。元総理の鳩山さんも応援演説しているらしいけど絶対聞きたくない。総理になって初めて「沖縄米軍の抑止力の意味が分かった」などと言っていた人ですから、政治音痴、政策無知。応援される候補者も人寄せパンダにはなると思っても、プラス効果をあまり期待していないのかも知れません。

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 上の写真は、みなとみらいショッピングセンターで見かけたベア。

https://www.youtube.com/watch?v=nrwXljQW4DE

 夜、独りで酒を飲むときに聞くと、うっとりします。

ロイヤルウェディング、なぜ荒探しする?

 まあ、一般論として庶民が皇室、王室のプリンセスにあこがれ、ほのかな恋心を抱いても、普通は恋愛、ましてや結婚などは絶対考えないでしょう。それはたとい身近に接していたとしても。名作映画「ローマの休日」では、新聞記者(グレゴリー・ペック)が偶然知り合った王女(オードリー・ヘップバーン)と一日、ローマ市内を回遊し、その中で恋心を抱く。王女も憎からず思い、最後宿舎前の別れの時に熱いキッスを交わすのだが、それ以上にはならず、その後の王女記者会見でも、あくまで取材する側、取材される側の冷静な態度で接していました。

 本来はその程度で終わってしまうものでしょう。だから、恋愛と結婚は別物。一庶民が王女との結婚まで考えるとなると相当な勇気が必要です。というのは、恋愛は単に2人の関係で済むでしょうが、結婚となると、双方の家庭の親戚付き合いも始まる。やはり、家庭環境、財力といった面で相応の釣り合いが取れていないことには、やはりぎくしゃくしたものになるでしょう。という観点からすると、このたび日本のプリンセスと結婚した若者KK氏の決断、というか”蛮勇”は相当なものだったと思います。

 でも、これもあくまで一般論ですが、今時、普通の庶民の若者が堅苦しい皇室のプリンセスとの結婚など望むものでしょうか。プリンセスとKK氏は三鷹にある大学ICUで同じ時期に学んだそうですが、たとい大学のクラスメートであっても、警備が付いているプリンセスなどには接近しにくい。小生の母校は小規模な国立大学だったので、およそプリンセスが来ることなどないところ。たといあったとしても、小生なら端から接近など考えないでしょうね。

 ただ、学生時代に似たような話、記憶があります。運動クラブ主催のダンスパーティーで知り合った女性を自宅まで送っていったことがあります。酔っ払っていてどの辺かよく覚えていないんですが、確か、杉並区の高級住宅地だったと思います。別れ際、「あそこが家なの」と女性が指差したところは、瀟洒な門があり、塀の外まで数本の木が覆いかぶさった、夜目にも分かる大豪邸でした。こちらは、千葉・船橋市郊外の小宅に住む”田舎者”ですから、酔った頭ながら、少しビビりました。ですから、グレゴリー・ペック(小生の大好きな俳優)のように別れ際にキッスすることもありませんでしたし、もちろんその後の付き合いなどもありません。

 KK氏の結婚相手は、杉並の豪邸どころでなく、赤坂一等地に壮大な敷地と邸宅を構える日本の特別なファミリーの娘です。よくもそんな娘と付き合う気になれたものですが、それはともかく、結婚相手となれば、メディアに注目され、すべて見透かされ、荒探しされることは分かり切っています。ですから、そんな注目を浴びてまで、極端に言えば、自分の身の上すべてをさらしてまで突っ込んでいくkk氏の行動は信じられないし、その勇気に敬意を表したいと思います。

 でも、面白いもので、世間はひがみ根性かジェラシーかは知りませんが、今回のロイヤルウェディングを普通の恋愛からの結婚とは見ないんですね。一庶民がそこまで突っ込んでいくのは、何か魂胆がある、裏があるのではないかと勘繰るのです。ましてや、メディアは、小生も含めて庶民の代表ヅラして好奇心の塊ばかりの人種ですから、この”不釣り合い”は何なんだろうと突き詰めていくのです。そこでKK氏の母上が300万円程度の借金が返せないという、ものすごく低次元の話を探り出し、公にするのです。

 メディアの中には「プリンセスがペテン師と駆け落ち」などという見出しを付けた記事もありました。正直、小生などはそこまでやる必要があるのかと思います。金銭貸借関係は別に犯罪になるわけでなく、あくまで民事上の問題です。ですから、不釣り合いを乗り越えて何とか結婚しようと思っている2人がそこにいるのなら、強いて荒探しなどせず、温かく見守ってやってもいいのではないか。それができないということは日本人一般の皇室に対する意識が変わってきているのかなとも思います。

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 上の写真は、横浜みなとみらい地区に係留されている日本丸。久しぶりに帆を満開にしていました。

モデルナワクチンに脱毛の副反応があるのか

 驚くことにコロナ禍が終息に向かっています。昨日の東京の感染者26人、神奈川もほぼその程度の数。8月から9月にかけての一日の感染者数は5000人にもなっていたのに、ほんの1,2カ月の違いでこうも感染者が減るものか。この激減って何が原因だろうとしみじみ思います。恐らくワクチン接種効果か。日本ではすでに全人口の3分の2は2回のワクチンを打ち終えています。だから、ほとんどの人が感染しても重症化しない。感染しても自覚症状がない、ましてや重症化がなければPCR検査など受けない。検査数の少なさがすなわち感染者数の減少につながっていると思います。

 コロナ終息は掛け値なしに嬉しい。かつて当たり前のようにあった生活に戻れるのだから。オンラインではなく対面の会合もできる。で、早速、小中学校時代の仲間、大学時代のクラスメート、そして香港時代に一緒に100キロハイキングをした仲間から会合、忘年会の誘いが来ました。全部出席するよう返事を書いておきました。小中学校の仲間は浅草橋の山形料理屋、大学時代の仲間は六本木のイタリアンレストラン、香港時代の仲間は池袋の養老の滝が定席。どれも個性的で面白い。

 実は先日、山形県の風物詩「芋煮会」を東京の町田市郊外の山の中で挙行しました。これはいつもの飲み友達が一緒。小生も20代に山形に赴任して初めてこんな行事があることを知ったのですが、市内を流れる馬見ヶ崎川の河原で各パーティーがそれぞれ車座になって、里芋と牛肉とこんにゃくが煮込まれた鍋をつつくのです。なかなか捨てがたい秋のイベントでした。それを東京で再現しました。春の花見もそうですが、やはり露天での宴会は気分がいい。ただ、19日当日が10月にしてはけた外れの寒さだったので、それが画竜点睛を欠きました。

 それはともかく、香港の華文報道サイトを見ていたら、驚きの”事実”に出くわしました。同サイトは日本からのニュースとして伝えているのですが、7月初めにモデルナワクチン接種を受けた日本人男性が一カ月後に頭髪が抜けているのに気付いたというのです。彼は病院で診察してもらったところ、どうも接種によって甲状腺の分泌異常が起きて、それが原因ではないかとのこと。彼の頭髪は接種66日後、明らかに薄くなり、73日後には後頭部の脱毛が目に見えて分かるようになった。これでは「100日後に全部抜けてしまうのではないか」と彼は心配しています。

 また、6月にモデルナを打った女性も一回目の接種から頭髪が抜け出したとのこと。最初は季節の変わり目に起きる現象かと放っておいたのですが、脱毛現象がなかなか収まらないので不安になり、病院に駆け込んだのです。彼女はこの脱毛状況を写真に取り、その変化を自身のブログで紹介しているとのこと。「髪の毛が命」の女性からすると、これもかなり勇気のいる行動かと思います。ワクチン接種の副反応は高熱やだるさなどの症状があることは巷間言われていますが、脱毛とは驚きでした。

 この副反応については、日本国内でツイッターなどのSNSに掲載されて、すでに流布されているようです。小生は若かりし頃、髪がふさふさしていたのに、最近は白髪化、細毛化、脱毛化に悩まされていますから、このニュースは他人事ではありません。小生が受けたファイザーではこの現象はないのか、心配です。いずれにしても、モデルナへの信頼感はいささかなくなりましたね。ある意味、頭がはげるのはコロナに掛かるより怖い事態かも知れません。究極の選択などとは言われないよう、3回目の接種では、ワクチンブランドや接種時期を然るべく選びたいです。

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 上の写真は町田市内の山中の公園で挙行した芋煮会

20年以上、党首が変わらないのは変でしょう

 総選挙が公示されて、本格的な選挙戦が始まりました。本当によく分からないのは、テレビなどでオンラインで行う党首討論会に、NHKのなんちゃらという長い名前の政党の党首も出てきて自民党などと同様に演説をぶつことです。早い話、N党は「NHKの放送をスクランブル化せよ」と言っているだけで、その他の政見はない。スクランブル化とはすなわち、無条件にNHKを見せないようにし、見たい人だけ有料の契約を結べということ。勝手に見させておいて、後で金を取るなということでしょう。

 有料放送にしたら、NHKの契約者は激減し、かのテレビ局の経営は成り立たなくなってしまうでしょう。それはともかく、各テレビ局は、ワンイッシューの実現しか叫ばない立花孝志とかいう党首をなぜ「党首討論会」に出演させ、主張させるのか。まあ、今次選挙に一定数の立候補者を立て、解散まで国会議員だった人もいるというで出演条件を満たしているのでしょうが、他党派がNHKスクランブル化の是非など問題にしていないので議論にもならないのですから、まったく意味のない出演だと思います。

 まあ、意味のないと言えば、所属国会議員が1-2人程度の「れいわ新選組」の山本太郎社会党福島瑞穂の出演も意味がない。共産党立憲民主党と同じように、消費税の減税あるいは廃止、最低賃金の引き上げなどという財源無視、経済のファンダメンタルズ(基礎条件)無視での主張を繰り広げています。こうした政党が複数出演することで、国民の大多数があたかもそうした”おいしい主張”に迎合しているように錯覚させられてしまいます。今後、党首討論出演者は国会議員が5人以上いる政党としたらどうでしょうか。

 左派系少数政党は小選挙区制の中で立民や共産党と連携、統一候補を立てています。それなら尚のこと、彼ら独自の政見など聞いても意味がない。提携各党の違いなどは出さず、所詮、金太郎飴みたいに誰の話を聞いても一緒となってしまうのでしょうから。それにしても、連中はよくもこういうおいしい話ばかりできるなあー。政府、財務省が何か打ち出の小槌でも持っているかのようです。国民においしい話をするのなら、同時に財源の話にも触れるべきです。今は出費が必要だから赤字国債を出すが、その分将来は増税をするので我慢してもらうとか、将来とてつもないインフレーションを起こし、借金を相対的に棒引きにするなどという案もあるなどと主張してほしい。

 先般、日本記者クラブでの各党党首討論会を聞いていて面白かったことがあります。読売新聞OBの橋本五郎氏が共産党志位和夫委員長に対し、「委員長になってまもなく21年、書記長時代も含めると31年権力の座にいる。それは志位さんの統率力が優れていることなのか、それとも他に人材がいないのか」と質問していました。橋本氏は長期の権力保持に、中国共産党の例などを暗に示して皮肉を飛ばしたつもりなんでしょうが、志位氏はそれを知ってか知らずか、「他に人材はいる」などと言うだけで、質問にまともに答えていませんでした。

 確かに、変ですよね。いかに日共が非権力政党とは言え、20年以上、そのトップが変わらないというのは特異な事態です。これでは、プーチンも、カンボジアのフン・セン首相も、ベトナムグエン・フー・チョン書記長も、ベネズエラのニコラス・マドゥーロ大統領も、さらに言えば、中国で来秋、3選を狙う習近平国家主席の長期政権も批判できないことになります。これらの国、政党はもともとか、今も社会主義を標榜している。どうもこうした左派系政党、国家というのは長期政権が好きなようです。

 ただ、良識ある国民からすると、こうした長期にわたり一人に権力が集中する、言葉を代えれば、長期独裁政権は決して健全な在り方とは思えないでしょう。日共はこれまで、国政選挙で当選議員数を減らしてきても(表面的には)トップ批判は起きず、交代もありませんでした。党内部で権力闘争が起きないこと、別の言い方をすれば、幹部同士の切磋琢磨がない形での政党の在り方に、党員は本当に何の疑問も持たないんでしょうか。少なくとも、この政党の支持者でない小生からすると、異常な感じがしてなりません。

 上の写真は、小生の自宅近くの大岡川沿いにある休憩スポット「ちぇりり場」とその近くに咲く「香港花」。ちぇりり場とは、大岡川が桜の名所であることから、桜のcherryと川のriverを合わせた言葉。 

林部智史 / 「あいたい(Music Video) ~ニュー・バージョン~」 - YouTube

これはこれで、”泣かせ”の名曲です。

国民は選挙目当ての野合にだまされない

 そう言っては何ですが、岸田首相では来るべき総選挙で自民党に弾みは付かないような気がします。見るからに育ちの良さ、人柄の温厚さは感じるのですが、訴える力強さが感じられない。一般庶民が期待する政治家像って「あの人いい人ね」というような人じゃないんですよね。どちらかと言うと個性の強そうな、強固な信念を持っていそうな、強いて言えばワルにも見えそうな、しかし笑顔を忘れない、そんな人を求めるのです。今さら言うのはいかがなものですが、菅前総理が笑顔を見せ、能弁でさえあったら素晴らしかったと思います。

 大変、詰まらない視点ですが、ほとんどの有権者は、総理が政治家として持つ理念や主張する政策に関心を持っていません。普段、テレビで見る印象で「この人、信頼感が持てるかどうか」を判断し、それを投票行動に結び付けます。小生は菅前総理の選挙区に住んでいるのですが、最近、彼の選挙ポスターが届きました。裏側に彼が実現させた政策などがびっしり書かれてありました。自身が誇るまでもなく、すごい能力の政治家だったと思います。本当に笑顔と能弁さがあったら良かったのにと思います。

 それはともかく、岸田氏は総選挙の勝敗の分かれ目について「自公で過半数を獲れるかどうか」と話していました。これっておかしくないですか、自公で過半数が取れなければ、現自公政権は忌避されたということなんですから、分かれ目どころか潔く退陣するラインでしょう。衆院定数が465議席過半数が233議席。今、自民党が275議席、公明が29議席ですから、都合300議席以上あります。岸田氏の言う自公で233議席を勝敗ラインに置くということは、公明が現有勢力を保ったことを前提にすると、自民だけで70議席近く負けても良い、それでも勝利だと言っているに等しい話。バカげています。

 で、正直、自民党はどれだけの議席が確保できそうなのか。小生の時事通信時代の同期生である田崎史郎は240議席前後と予想しています。これでも現有勢力から30議席以上減る勘定ですが、この原因の理由について野党の連携が進んで小選挙区で自民候補が負ける可能性があるからだとしています。ですが、小生は、野党共闘はそれほど奏効しないと見ています。なぜなら、立憲が共産党とくっ付けば、連合内の右派系組織労働者は必ず自民党に投票します。自民党に入れないまでも維新の会のような政党を選ぶかも知れません。

 しかも、国民のほとんどは、共産が加わった野党連合、言葉を替えれば”野合の連携”で政権が担えると思っていません。彼らの政策は、国家の根幹にかかわる安全保障で一致していないし、生活にかかわるものであっても、かつて民主党政権ができる前の時のような説得力がない。コロナ対策の給付金が一律10万円とか12万円とか、いずれも人気取りの主張。これらは赤字国債の大量発行によるもので、未来永劫続くべき国家に対し、責任ある態度とはとても思えません。

 国民は選挙対策の野合集団の主張にだまされたりしません。それが証拠に、きょうテレビでやっていましたが、ある世論調査によれば、コロナ特別給付に対し期待する人が3割強であるのに対し、将来の国家財政の破綻を憂うる人の方が5割を超えているという結果が出ています。国民の多くは意外にも(失礼か)きちんと見ているんだなーと感心しました。昔、小泉首相所信表明演説で米100俵の話をしていました。我慢すべきところは我慢するという話ですが、コロナ特別給付なんてまさに一時しのぎの子供だましで、数少ない俵米の先食いです。

 昨年あった国民一律10万円の支給。別の世論調査ではこの金の行方が調べられましたが、かなりの人が貯蓄に回していることが分かりました。これってどういうことを意味するかと言うと、一般論として10万円をすぐに使わなくてはならないほど多くの国民は困っていないということです。だから、公明党が強く主張した国民一律というのが実にナンセンスだったのです。今回、自民党は「困窮者に支給」としていますが、こちらの方が理にかなっていると思います。

 上の写真は、琵琶湖西岸にある白鬚神社。パワースポットの一つらしい。

いじめは未来永劫なくならない、だから厳重対処を

 週末から週初めにかけて3日ほど琵琶湖周遊の旅をしてきました。この旅行中にテレビをつけると、大津の中学2年生いじめ事件が発生から10年経ったということで、全国ニュースでも父親のインタビューが出るなど大きく報じていました。たまたま旅行している地であったので関心を持たざるを得ません、小生、子供がいないので、これまでいじめ事件をそれほど辛らつにとらえていませんでした。ただ、外から見ていてしみじみ思うことは、いくら、誰が何を言っても、学校内のいじめは未来永劫なくならないということ。学校は社会の縮図であり、世の中に一定のワルが存在するように、学校にも存在します。それを前提にものを考えなくなくてはならないと思うのです。

 この大津事件を契機にして、いじめ防止対策推進法が成立したそうな。それはそれで災い転じて福とまではいかないまでも、結構なことだったと思います。ただ、この法律の内容を見ると、非常にお粗末。学校内で重大事件が発生した場合、第三者委員会を設置して調査し、その後に教職員やカウンセラーを組織していじめの個別事案に対処するなどと後手後手の対応となっています。また、非常にアバウトな内容で呆れてしまいます。問題は、学校内で重大事件となるかならないような事案が数多くあるということで、その辺の対処が必要なのです。

 いじめというのは陰湿なもので、普通人の眼に触れないところで始まります。ですから、発覚しにくく、基本的に”重大事件”にはならないのです。教師や他の生徒が認識した時には、もうすでに取り返しができないほどに重大化していることが多いと思います。で、小生は何が言いたいかと言うと、学校には一定の割合が他の不幸を喜ぶ、また他の迷惑になるような人物がいる、すべての生徒が善良な人間関係を構築できるわけではない、ということを前提に対応策を考えなくてはならないということです。

 大津の事件で自殺に追い込まれた生徒の父親は「二度と子供と同じ目に遭わないようなシステム作りをしてほしい」みたいなことを言っていました。その通りですが、そのシステムがお座なりである限り、いじめはなくなりません。いかにわれわれ善良な市民が世界平和を望んだところで、暴力や暴力的支配を好んだり、人を抑圧することに熱心なタリバンや、ミャンマーの軍事政権や、抑圧的な大国、独裁国が存在するのと一緒です。「学校内のいじめは止めよう」などと叫ぶのは、「世界がどうか平和になりますように」と太鼓をたたいて念仏を唱えるような虚しい叫びになってしまいます。

 でも、世界と学校とは違います。世界は独裁者の跳梁跋扈を許す、暴力が左右するアナーキーな社会ですが、学校は教職員や父母会、それが駄目なら警察もいる管理が可能な環境です。だから、必要なことは父母会が教職員と緊密な連絡を取り合う形にし、日常的にいじめの発生を監視すればいい。もし、少しでもいじめの話が入ったら、その本人から徹底的に事情聴取する。報復を恐れて話さないのでしたら、いじめられた生徒に即別クラスにするとか、あるいは別の学校に転校できるとかの選択もあることを告知するのです。それは公立学校であっても、学区制を無視して可能にすべきです。

 そして、いじめる側の子供に対しては処分を厳しくするべきでしょう。いじめに遭った子が明らかにけがしたり、自殺したりした場合、徹底的に事情聴取を進め、いじめに加わった該当者は名前公表、その者たちを一般生徒から切り離し、隔離クラスにしてもいい。これまでのケースを見ると、まだ分別も付かない子供のやったことだからとして、どうもいじめた側の生徒の”人権”が優先されるケースが見られます。いじめっ子は逆にここで痛い目に遭わせておかないと、いずれ社会に出ても同じことを繰り返す可能性があるので、痛い目に遭わせるべきです。

 大津の事件でも指摘されていましたが、学校の教師も事なかれ主義者が多いように見受けられます。確かに、大量の仕事を抱える教師にしたら、最初はあまり目に見えない形のいじめなどに関わり、”余計”な労力など使いたくないと思うでしょう。でも、世界情勢と同じように、小さな事件、小規模なスカーミッシュ(小競り合い)がやがて大きな事件を呼ぶことを自覚してほしい。教師一人ひとりの手を煩わせないためにも、学校内にいじめ専門の父母会・教職員会合同委員会を組織し、必要ならば専門カウンセラーを配置してもいいと思います。

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 上の写真は、琵琶湖北部・長浜の湖畔から見た落陽の風景。