つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

伊東純也問題は多くの男性が関心を持つ

 芸能人の性加害問題は引きも切らず、いわゆる”大物芸人”の松本人志に続いて、驚くことにサッカー日本代表の伊東純也まで俎上に載ってしまいました。松本はまあ、ありかなと思うし、彼ならそのくらいのことはするだろうと誰もが思ったと思われます。でも、伊東はちょっと意外でした。それは、彼がまさにアジアカップカタール大会に出場する主力選手であり、見るからに颯爽とした若者の感じがしていましたから。正直、週刊誌がそんな時期に日本選手団のマインドを削ぐような記事を出さなくても良かったのではないかとさえ思いました。

 男女関係は最終的に2人だけになることがほとんどなので、その実情は分かりにくい。ですから、軽々に物申すことはできないのですが、松本人志の件は比較的分かりやすかった。部下に当たるような”小者芸人”に女性を集めさせ、ホテルかどこかでパーティーを開いたとのこと。男女にかかわらず、だれでも、有名芸能人に会ってフランクに話ができるという機会に誘われたら、行くと思います。その挙句に松本が気に入った女性を周りの者が察知し、最終的に2人にする機会を作ったとか。

 まあ、小者芸人は巧妙なアテンド屋さん、汚い言葉で言えば使いっ走り。同じプロダクションの先輩としてテレビ出演などで影響力を持つ大物芸人であれば、小者芸人としては唯々諾々としてその意に従わざるを得なかったのでしょう。その意味では小者芸人には可哀そうな感じを持ちます。そうした理不尽な”指示”は、企業の上下関係の中でも往々に見られる現象ですが、一種のパワーハラスメント。力関係を利用する大物芸人は大いに問題でしょう。

 それに対し、伊東純也のケースは良く分かりません。報道によれば、2人は昨年6月、大阪市内のホテルに入って事に及んだようですが、小生の正直な印象を言えば、ホテルに入ることに同意した女性が性加害で訴えることができるとは、不思議でなりません。その昔、ある女性がデートした男性から「ちょっと休憩しよう」と言われていわゆる連れ込み旅館に入り、そこで「暴行」されたと訴えたことがあったそうです。これはどこかの雑誌か何かで読んだうろ覚えの情報ですが…。

 親告罪で訴えられた男性は刑事裁判の場に立たされたのですが、裁判長は最終的に「それ相応の歳の女性であれば、その種のホテルの意味は分かっていることと思われる。そこに入ることに同意したのであれば、すべてに同意したことに等しい」との判断で、男性を無罪にしたと聞いたことがあります。それ以降、ホテルに一緒に入ったのであれば、男性の強姦罪、今の言葉で言えば不同意性交罪は成り立たないとの認識が一般的になったと言われています。

 今回の伊東純也のケースを見ると、ホテルに入ることに女性が同意したのに、それでも訴えられたようです。今後、男性側はますます肩身の狭さを感じますね。小生の正直な印象を言えば、週刊誌は女性の言葉を100%信じて伊東純也の選手生命を奪いかねるような報道をするべきではなかったように思います。しかも、日本国民がアジアカップでの日本の優勝を願い、その中核メンバーに伊東が座ることを望んでいた時ですから。

 報道するにしてももう少し時期を遅らせることはできなかったのか。この週刊誌はライバル誌の松本人志報道に部数を食われて躍起になっていたことは分かりますが、時期が悪すぎます。伊東がアジアカップ対イラン戦に出られなくなって、結果として負けてしまいました。優勝がなくなって、サッカーファンに限らず多くの日本人は、この負けは週刊誌報道のせいだと思ったに違いありません。それでひそかに「週刊誌ボイコット」が起こったのだと思います。

 で、問題の性加害事件ですが、伊東サイドは案の定、2億円の賠償請求で逆提訴しました。彼にしてみれば、「一緒にホテルに入ったということは、それ以前にそれなりの雰囲気があり、男女間の暗黙の約束はできていたと感じた」のでしょう。それなのに「性加害とは何事か、青天の霹靂だ」との思いがあったのでしょう。この週刊誌報道で、選手生命が絶たれる危機のほか、コマーシャル収入は入らない、人格的に貶められるで大変な被害を被ったのです。無念この上ない思いでありましょう。

 いずれ裁判で決着が付くのでこちらがとやかく言うものではないし、小生自身はもうそういう色恋の世界とは無縁の身なので、正直、どう判決が出てもいいのです。ただ、多くの元気のいい男性が、この種のホテルの部屋内での騒動、やり取りに関わる判例に対し結構関心を持って見守っていることは間違いないと思われます。

 上の写真は、台北の定点観測地点、龍山寺西華街ストリート、マッサージ屋さんが多い。下の方は台北駅近くの有名な繁華街西門町の街頭風景。

海洋を奪われ中国軍の臨検を受けてもいいのか

 中国は世界一流の覇権国になりたいようで、取りあえず太平洋への進出を図っています。米国の有名な国際政治学の泰斗で将軍でもあるアルフレッド・セイヤー・マハンは海洋を支配する国家が世界覇権を握ると言っています。米国の軍人ならだれでも知っている名前ですが、中国の軍人の中にも彼の信奉者が多いのです。それで東シナ海南シナ海の支配はもちろんのこと、太平洋も支配したい様子。で、習近平は米軍ハワイ司令部の高級軍人に対し、「太平洋は米国が東側、中国が西側と分割管理しよう」などと持ち掛けたとか。

 海洋の支配権とは、やくざ屋さんで言えば「シマ」と一緒で、海底、海上の海洋権益を確保し、いったん事が起きたら船舶の臨検もできるし、通航の妨害もできる権限を持つということ。したがって、他国は経済活動の上からも軽視してはならないことなんですが、いわゆる「平和主義者」の多い日本では一般的にこの辺が理解できていないようです。中国が南シナ海サンゴ礁を埋め立て、軍事基地を造っても日本と直接関係ないのだから目くじらを立てる必要ないんじゃないのという人、意見が多い。飛んでもない認識です。

 日本は石油を中東方面に頼っており、南、東シナ海を通って運んでくる。ですから、これらの海域が中国に抑えられたら、死活的な問題となります。さらにインド洋。今、中国は海洋調査船をインド洋に送って海洋調査を進めています。周辺海域、太平洋だけでなく、インド洋にも進出、支配しようと狙っており、インドが警戒感を強めているんです。インド洋上の観光島嶼国として有名なモルディブでは、2年ほど前の大統領選挙で中国寄りの人が当選、インドから中国になびくようになりました。

 モルディブが、インド洋を調査するための中国船舶(恐らく軍用船)の基地として港を使わせていることが最近発覚、インドが不快感を露わにしました。すると、当のモルディブからでなく、中国軍部が「インド洋というのはインドが支配する海洋という意味ではないだろう」と反論してきました。中国軍はもともとミャンマーのチャウピュー、スリランカのハンバントタ、パキスタンのグゥアダルなどの港に専用基地を持ち、「インド洋の真珠の首飾り戦略」とか言って、この海洋の進出にも熱心なんです。

 日本に近い南太平洋の島嶼国にも中国はモーションをかけています。太平洋支配に向けたイニシアチブでしょう。これら島嶼国はもともと米国、オーストラリアの”シマ”だったのですが、中国が経済支援や治安対策支援などを言い出して自国の方になびくように誘っています。それで、あの有名なガダルカナル島も含む島嶼国である「ソロモン諸島」はすっかり中国寄りになってしまいました。

 中国は世界的に広域経済圏構想「一帯一路」とかいう外国篭絡作戦を展開、諸外国にインフラ建設を進めるという名目で金をばらまいてきました。モルディブソロモン諸島も恐らくこの金に目がくらんだのです。あたかも尾崎紅葉著「金色夜叉」で、貫一に叱責されたお宮のように。ソロモン諸島の首都ホニアラがあるガダルカナル島は、ソガバレ首相が中国の賄賂攻勢を受けたせいか、中国贔屓なのですが、別の島では長年の台湾支援に恩義を感じて親台湾、反中国。そこで島民の間で対立を生じているようです。

 南太平洋島嶼国への影響力をめぐって西側諸国と中国の対立が続いているので、日本も西側の立場でこの綱引きに参加し、最近でも上川陽子外相がこれら島嶼国を歴訪しています。素晴らしい行動です。日本にとっても西太平洋全体の支配権を中国に奪われたら、中国の了解なしには生きられない状態になります。その結果、日本は、民主的な選挙はなく、習という独裁者が壟断する国の属国になり、言うことを聞かざるを得なくなるのですから、これまた死活的な問題でしょう。

 日本の愚かな人たち、特に左翼系と言われる人たちはこの安全保障論が分からない。日本国土が侵されない限り、侵略を受けたことにならないと考えているようです。われわれの生活が貿易、海外との交流で成り立っているという視点で見ると、単に日本の領土、領海に目を向けているだけでは駄目。世界を俯瞰し、自由、民主主義、人権が保障される安全な国際社会をどう構築していくかというレベルで発想し、そういう国家同士で協調していく、場合によっては同盟関係を結ぶといった選択が必要です。世界にはいまだに、独立国を蹂躙しても平気なロシアのような国があるんですから。

 上の写真は、年明け後の池袋駅西口「東京芸術劇場」界隈。池袋は今でも中国人が多い、中国の”シマ”になるのか。下の方は、横浜・伊勢佐木町モールの春節の飾り。

知識を得るってなんと素晴らしいことか

  昔より多少時間が取れるので、今、本を読む機会が多いです。最近、主に読む本は時代小説なのですが、それに限らず何でも興味があるものなら手にします。つまり、雑学習得の時間になっています。今現在は鈴木貫太郎(元首相、海軍大将)の評伝を読んでいます。それでしみじみ思うことは本を読むことってなんと素晴らしい、新しい知識が身につくって本当に嬉しいなーと。歳を取ると、覚えたと思ってもすぐに忘れることが多いのですが、読んだ時点で知識が増えたことにすごく満足しています。

 受験勉強もそうでしたが、知識を習得することってそんなに楽しいことじゃなかったように記憶します。半分、必要性、惰性に追われて、いやいややっていました。でも、今は違う。わー、長年疑問に思っていたこと、まったく知らない分野で、こんなことが分かったと思うと楽しくなって仕方ありません。これって知識欲?年齢を重ねて今さら知識を使う機会なんて訪れそうにないのですが、知識欲って本当に素晴らしいことなんですね。

 昔、ある私立大学で「国際関係論」の講義を持っていた時に、前の方の机に座って熱心に聞いている男子学生がいました。ワイヤレスマイクを付けていたので、小生は大教室での授業中、よく黒板の前を左右に歩いたり、たまには通路に入って学生の席の近くまで行くこともあったりしたのですが、その時に件(くだん)の学生はずっと小生の動く方を見続けていたのです。ほとんどの学生がうつらうつらしたり、完全に机に突っ伏して寝ていたりする中では異色の存在。その熱心さってなんだろうと思ってある日、授業後その学生に聞いてみました。

 すると、彼は「僕は大学を中退していったん就職して社会に出ました。その時に仕事の中で政治、経済の仕組み、世界の流れに多くの疑問を持った。これって何だろうと思いが募りまして、そこで、もう一度学んでみたくなったのです。今度は貯めた自分の金で大学に入り直しました」というのです。社会で疑問に感じたことを知るために学び直すと決めたこの学生に口頭で敬意を表しました。と同時に、やはり知識欲ってその必要性を感じたときに初めて出てくるものじゃないのかと実感しました。

 小生の経験からすると、受験勉強は大学に入るための手段として必要だと思ったけど、当時、人間を膨らませるため、人生を豊かにするためのものだとは感じていなかったです。そして、大学に入ってからの講義も単位を取るための義務感で、得てしてうつらうつらすることが多かったです。果たして知識が身についていたかどうかは分かりません。ですから、大学の講義出席は大学卒業証明書を取るための一過程でした。むしろ、社会人になってから読んだ本、他人から聞いた話の方がはるかに得るものが多かったように思います。

 今は義務感もなければ、人生を豊かにしようとの積極的な思いもありません。年齢が年齢ですから、得た知識を将来役立てようなどとも考えていません。特別必要性はないのです。ですが、やはり新しい知識を頭の中に入れたいとの思いは強い。生きている限り知識人でいたいという思いからか、本を読み、ネット、ユーチューブで新しい知識を吸収しようとしています。別に恰好いいことを言うわけではないのですが、知らないことを知る、新しい知識を得るってなんと素晴らしいことか。もっと若い時に気づいていれば、酒を飲む量を減らしたりすることもできたのでしょうが…。

 上の写真は、先般東京で大雪になった次の日、横浜の小生自宅近くの降雪風景。東京に比べて降雪量は少ない。これを見る限り、横浜って東京より緯度が低い(赤道寄り)ということが明瞭に分かります。

 それにしても、ラテンの音楽はいい、スペイン語ポルトガル語の歌はいい。

大谷が好かれるのは容姿だけでない品性だ

 2月に入ってプロ野球のキャンプが始まり、春が近づいてきました。ただ、昨日までの天気は雪模様で寒かったので、日中外には出られない。寝るときには、床に入っても本を読む手が寒いので温風器をかけ、電気を消した後は、頭の方が寒いので、毛の上着を頭に載せて、厚手の羽毛布団にくるまっています。寒さ嫌いの小生としては、もう少しの辛抱。「あと1カ月ちょっとで桜も咲くし」と早くも本格的な春の到来を待ち望んでいます。それにしてもプロ野球キャンプ地の沖縄は暖かそうで、うらやましい。

 国民的な英雄大谷翔平君もアリゾナ州でキャンプに入るようです。驚くことに、先日、ロサンゼルスで行われたドジャーズのファン感謝デーには大トリで出てきたのですが、スタジアム入場のところからテレビカメラが追い、インタビューでは同時通訳付きで最初から最後まで報じられていました。まあ、あれだけ(ホームラン王でMVP)の選手ですから、それもありかなと思うけど、ちょっとやり過ぎの感も。メジャーにいる他の日本人選手も一流ですが、大谷ほどには扱われていないし、ちょっとかわいそうな感じもします。

 小生が「ファン感謝デーの完全中継なんてやりすぎだよ」と言ったら、内人は「大谷なら当然。見ていて気持ちいいもの」と返すのです。小生は、麻生太郎副総裁のように見た目を云々するつもりはないのですが、敢えて言えば、大谷は確かにカッコいいし、笑顔もいい。話し方も優しいし、謙虚であり、掛け値なしに好感が持てます。ほぼ全員が見ていて爽快な気分になると思います。という意味では、テレビ的にも”絵”になる男だし、どんなイベントでも彼が出るなら、放送局は放っておかないのでしょう。

 ドジャーズのキャンプが始まったら、どうなるんだろう。日本のテレビ局も記者もアリゾナの練習場にべた張りするのかな。そして引き続き大谷の一挙手一投足を報じ続けるのかな。それもまた、多くの視聴者が望むことであるなら、宜しいのかも。テレビニュースで殺人事件とは強盗事件とか、交通事故とか、物の値上がりの話とかを伝えられるより、われわれは気分良く見られますから。

 ところで、日本国民が大谷を好むのは彼の背の高さ、容姿、話し方だけではないですね。立ち振る舞い、生き方なども考慮されているのでしょう。日本のすべての小学校に野球のグローブを寄付したこととか、能登半島地震に1億数千万円の寄付をしたとか、ドジャーズで「17」の背番号を譲ってくれた選手の奥方にポルシェをプレゼントするとか、やたら小憎らしい行動に出ます。いかに10年間で1000億円以上の収入を得た人とはいえ、行動のカッコ良さが際立ちます。だれか振付師でもいるのかなと勘繰りたくもなります。

 でも、これも大谷の人間性なのでしょう。人徳なんでしょう。また、日本国民は彼のこうした行動、人徳を承知しているから、テレビで見ていてさらに好感を持つのでしょうね。一方で、後輩の芸人に女性を集めさせ、ケチケチの出費で性加害に及んでいたという”大物芸人”の立ち振る舞いもニュースになりました。この情報を聞くにつけ、人間はいろいろいるけど、なんと好対照な品性なんだろうと思います。やはり、見た目はともかく、品性を大事にして生きたいなと、小生もこの歳になって改めてしみじみと感じました。

 上の写真は、小生自宅近くの野毛山公園の池のサギ。今回は望遠のアップで撮りました。逆さサギになっているところがいい。サギの反対はキザですが、キザでなく、品性、人徳が必要なのかも。

外務大臣の容姿と日本外交は関係ない

 自民党麻生太郎副総裁がまたまた失言しました。講演会で上川陽子外相に言及した際、まず姓名を間違えて「カミムラヨウコ」と言い、「彼女」とか「あの議員」とかの代名詞を使わず、「あのおばさん」と呼び掛けていました。そして彼女の容姿に言及して「少なくともそんなに美しい方とは言わないが、…」とも述べたとか。まあ、発言の場は永田町でなく、ローカルな場であり、しかも麻生氏の地元で聴衆は身内ということで、少しは笑いを取りたいとでも思ったのでしょうか。それにしても、失言三連発はかなり問題かと見られます。

 でも、実は小生、「あのおばさん」発言に対してはそれほど目くじら立てる必要はないと思っています。この言葉自体に差別性はないからです。まさか「あのおねいさん」とか「あのおばあさん」とは言えないし、ましてや「お嬢さん」とも言えない。杓子定規にならない会合であれば、身内の会合であれば、少しは砕けた言い方があっても許されるのかなと思います。

 姓名を間違えるのはまずいですね。麻生氏自身が岸田総理から「麻生次郎(?)副総裁」と呼ばれたりしたらどうですか、良い気分でいられますか。小生も良く「日暮」を「日高」などと呼ばれたり、書かれたりした経験があります。他人のことを取り上げる場合は最大限その名前には注意が肝要です。小生などの小者と違って、上川氏は当選回数を重ねた国会議員であり、今は外務大臣です。国際的に有名であるべき人であり、そうあって欲しい人。それを自国の政党の幹部、それも有力幹部が間違えたとしたら、諸外国の笑い者になるだけです。

 今回の三失言のうち最大にまずいのは容姿に触れたことでしょう。麻生氏個人に限らず男性は一般的に、女性の容姿についてそれぞれ独自の印象を持つことは否めないと思います。でも、それは心の中にしまっておくことで、名指しして口に出すことではない、まして公の席で。上川外相の容姿と日本の外交とはなんの関係もないし、あの席でわざわざ言及する意味もありません。

 それとも、麻生氏は容姿の優れない人、特にそういう女性は閣僚はもとより議員などになるべきでないとでも思っているのでしょうか。それならお聞きしたいが、総理大臣までされた麻生氏はご自身の容姿をどう認識されているのでしょうか。俺こそは総理にふさわしいハンドサムな容姿を持っているとでも思っていらっしゃるのでしょうか。まあ、テレビのニュースで歩き方などを拝見すると、恰好付ける方だなとは思いますが…。

 すでにこの世にいない、冗談好きだった小生の親友は、見目麗しくない女性について「ふすまを思いっきり槍で突いて出る音のような方」という表現を使っていたけど、今考えればこれも問題だったかも。もちろん、こうした表現は男性同士の内輪の話の中で出てくるもので、公の場で語られるものではありません。

 酒飲みの席で他人のことに言及することは良くあることで、その時はその人の容姿や性格に触れることもありましょう。親しい者同士で他人の評価を共有し、それによってまた親しさを増すということも考えられます。だが、少なくとも公の場で安易に他人の評価を話すのはいかがなものか(ほめる場合は別ですが)。ましてや、麻生氏は自民党の重鎮です。自らの発言の影響力を考えるべきです。あるいは、影響力を知っているからこそ、上川氏の持ち上げに出たのか。そうであれば、もっと緻密に話を練り上げ、氏名の間違いなどして欲しくないと思います。

 上の写真は、野毛の隣ショットバー街吉田町の壁画と、春節の飾りも出た伊勢佐木町モールの風景。

琴の若の大関昇進がせめてもの救いだった

 NHKのBSテレビで「どすこい研」「球辞苑」という番組があります。小生は出色の番組だといつもながら感心して見ています。ご存じない方に一応説明しておきますが、どすこい研は大相撲の決まり手や仕事、球辞苑はプロ野球ゲームの作戦、ポジションなどの一つひとつを取り上げてデータで分析するものです。例えば、相撲の決まり手である「上手投げ」や「肩透かし」は場所の何日目に多く出るかとか、行司や呼び出しにはどういう役割があるのかとか。

 野球では、「フォークボール」はどういうカウントの時に投げるのか、盗塁はバッターのどのカウントの時が多いのかなど。番組は、視聴者が普段気にかけていないことを過去のデータを分析して教えてくれるのです。感覚でなく、データで教えてくれれば説得力があります。プロ野球の選手はよく見ているそうで、プロでもアマチュアでも参考になることが多いと思います。こういうデータ中心主義の番組はデータ集めと分析に時間がかかるし、スタッフには大変な作業量だと思います。まずもって、こまめに調べていることに敬意を表したい。

 これらに比べて民放地上波のゴールデンタイムは、なんだかあまり売れていない漫才師2人組らが登場し、椅子に座ってわいわい賑やかしをしているだけの番組が多い。楽屋内だけで受けるようなネタを延々とやり、互いに仲間のつまらぬ笑いを引き立たせようと手をたたいて喜ぶ陳腐な光景にはあきれるばかりです。安上りに作っているなと思うし、もっと洗練されて、驚くような番組が欲しいなとも思います。

 データ分析からスポーツを見る方法は新鮮だし、実に面白い。できれば、野球、相撲以外の人気スポーツでもやって欲しい。サッカーなんてファンが多いのですから当然あってもいい。コーナーキックからゴールできる確率はどのくらいあるのかとか、セットプレーからの直接ゴールは何パーセントかとか、PK戦でゴールのどこを狙ったら入りやすいかとか、興味あるネタは数え切れません。ラグビーだってルールが分かりにくいだけに、もっともっとルールが分かりやすくなる番組を作って欲しい。

 それはともかく、大相撲初場所が終わったので一応コメントしておきます。残念ながら、今場所も”モンゴル大相撲”になってしまいました。横綱は休んでも地位が落ちないという特権を利用して照の富士はしばらく休み、体調を戻して出てきて優勝しました。番付上位であり、最後まで優勝争いをした4人のうち3人がモンゴル人関取というのもどうも気に入りません。日本人が弱いからしょうがないと言えばそれまでですが、やはり日本の国技なのですから、日本人同士で争って欲しい。

 特権の話のついでに書けば、大関・豊昇龍は13日目に2敗の相星で霧島に当たり、負けた後翌日に休場しました。それで、14日、千秋楽は横綱大関の戦いが完全に組まれない事態になって、面白みが半減しました。豊昇龍はすでに勝ち越しているので、来場所にカド番になることはない。という権利を最大限に利用して休養に入ったということでしょうか。そんなことが許されるのなら、大関はだれでも、勝ち越したものの優勝の芽がないと分かったらすぐ休場すれば良いということになってしまいます。悪しき先例になりませんか。

 大相撲の解説者がしばしば話していますが、15日間、マジに取り組みを続けるとしたら大変な運動量、疲労感も尋常でないでしょう。元白鵬宮城野親方は中継の中で、「10日目ごろが一番疲れて苦しい」と言っていました。でしょうね。「一日一番なんだからそれほどでもないんでは」と考える人は多いと思いますが、やはり真剣勝負が15日間続くのは大変なことだと思います。例えば、四つに組んでまわしを1分以上取り合っていれば、手や腕はぱんぱんになります。それで翌日も同じ運動をしなければならないとなれば、その疲れは半端ないでしょう。

 昔は1場所8日間、10日間だったので、それほどの負担はなかったと思います。でも興行重視で場所は延ばされていきました。小生は、15日間やるのなら、最初に8日間取ったあと1週間の休みを与え、2週間後に後半戦をしたらどうか、あるいは、3日間取ったあと、一日の休みを間に入れるというような日程でもいいのかも知れません。そういう提案をしたいのですが、頑な相撲界で改革は無理なんでしょうね。一つ言えることは、適度な休養を与えないで、疲労を蓄積させると関取の体はボロボロになってしまい、現役生活の寿命は短くなります。

 今回のモンゴル人中心大相撲の中で、まあまあ気休めになったのは琴の若が13勝して直前3場所33勝をクリアし、大関昇進を確実にしたこと。本当は優勝決定戦で照の富士を破って、両手に華の昇進をして欲しかったけど、それは実力だからしょうがないんでしょう。まあ、日本人でも大の里、伯桜鵬などの有望な若手が出てきているので、近い将来、日本人同士が争う展開に期待したいと思います。

 上の写真は、台北市・中山北路で日本統治時代からあるという有名レストラン「満楽門」。下の方は龍山寺近く華西街の観光ストリート入り口。華西街は小生の台北における定点観測地点、行くたびに変化をチェックします。

戦争屋フーシの跋扈で「大航海時代」に戻るのか

 航空機の時代とはいえ、国際的にモノのやり取りをするのは現在でも海運でありましょう。その船舶輸送が危機的状況に陥っています。というのは、太平洋と大西洋を結ぶ中米のパナマ運河が水不足で大型船が通りにくくなっているのと、欧州とアジアを結ぶシーラインとして欧州各国が一番頼りにしているスエズ運河が海賊とイスラム武装勢力によって危険な状態に置かれているからです。マレーシア、インドネシア間のマラッカ海峡もそうですが、昔からここしか通れないと船が集中するところは海賊が出やすいところなのですが…。

 欧州とアジアを行き来する船舶は今、インド洋のアデン湾、紅海、スエズ運河から地中海に抜ける通航を避け、遠く南アフリカ喜望峰を回っているとのことです。「えー」とばかりに小生も驚きました。昔の欧州人が近道のシーレーンとして一番欲したのがスエズ運河。このため、まだ建設機材も十分ない19世紀に完成させたのです。その運河が21世紀になって使えなくなるとはどういうことか。15世紀後の大航海時代に戻れということか。紅海沿岸にある砂漠の国イエメン、そこで暗躍する「フーシ」というイスラムシーア派武装勢力海上に出て海賊ばりの活動をしているのが原因です。

 フーシというのは根っからの戦争屋、戦いでメシを食っている連中です。ほとんどの方はご存じないかと思われますが、イスラエルハマス戦争が起きる前にはスンニ派大本山サウジアラビアにミサイルを撃ち込んで敵対していました。ところがイスラエルハマス戦争が始まるとイスラム宗派間の争いを止め、本来は敵対すべきスンニ派ハマス支援に回り、これを助けるという名目で紅海を通る西側船舶を攻撃し始めました。

 表面的な名目はどうにでもなるということか。要は、攻撃されたくなかったら、「保証金」「身代金」を払えということです。フーシは恐らく裏で船舶会社に対し、紅海の安全通行料を要求しているはずです。アデン湾ではかつてアフリカ・ソマリアの海賊が航行中の船舶を武力で制圧、拉致し、船員、貨物を”質”にして船主に金をせびっていました。フーシは表面的には政治的な目的を掲げていますが、要は金が欲しいのではないでしょうか。ソマリアの海賊と本質は変わりません。

 もともとサウジへのミサイル攻撃の目的も同国の石油生産に影響を与えるためだと見られていました。表は宗派対立のような印象を与えていますが、裏では原油の価格が下がらないよう恐らく他の石油産出国からの依頼を受けたものでしょう。実はフーシに武器を与え、助けているのがシーア派大本山イランです。イランも石油産出国。という意味では、サウジへの攻撃にはイランも関わっていたと見ても不思議でない。イランの武装勢力「革命防衛隊」はペルシャ湾でタンカーなどを臨検しており、フーシと同じようなことをしています。この国も半ば海賊国家なんでしょうか。

 それはともかく、紅海、スエズ運河が使いにくくなったことで、欧州-アジア間の船賃、保険料が急騰しています。なんとも嫌な時代になったものです。フーシをのさばらせておくとガザの戦争が終わっても脅威はなくならないでしょう。米英軍がフーシの拠点を爆撃しているようですが、もともと砂漠のゲリラ勢力ですから、逃げるのはたやすい。暖簾に腕押しの感じ。しかも陰でイランが支援しているのでしたら、武器調達は無尽蔵です。

 ソマリアの海賊はたんなる物盗りで、あまり宗教、政治的なバックがなかったようです。日本を含め西側各国、さらには中国も周辺国のジブチに基地を置き、警戒に当たっており、最近ではソマリア海賊の跋扈はなくなった感じです。ですが、フーシの紅海での船舶攻撃は一応ガザのイスラム支援を名目にしているので、大国イランのほか、全世界のイスラム諸国が同調的であり、なかなか止みそうにありません。困ったものです。フーシのためにスエズ運河は使えず、しばらくは大航海時代に戻ってしまうのでしょうか。

 上の写真は台北・南京西路にある北京ダック名店での光景。ここの店の甘いたれは北京の有名店と変わりないほどの美味。久しぶりに烤鸭(ダック)を堪能しました。